文=ロサンゼルス在住ライター 町田雪/Avanti Press

大人の恋愛は、ややこしい。束縛したいのか、されたいのか。支配されているのか、させているのか。本当は、束縛や支配などという言葉とは無縁の純愛がベストだろうが、どんなカップルにも一度は(または常に)、そんな心理戦が繰り広げられることがあるのではないか。『ファントム・スレッド』は、大人の恋愛の奥深くの暗いところを、いとも美しくユーモラスに描いたロマンティック・サスペンス・ドラマだ。

「完璧な身体」と「天才的な仕立て屋」の出逢いが生み出した美の世界

舞台は1954年のロンドン。英国オートクチュール界の天才的な仕立て屋として、社交界から脚光を浴びるレイノルズ(ダニエル・デイ=ルイス)は、若きウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)と出会い、惹かれ合う。そして、仕立てを行う上で「完璧な身体」を持つアルマをミューズとして迎え、とりつかれたようにドレスを創作してはアルマに着せ、彼女を美の世界へと誘い入れてゆく。

一方のアルマは若く情熱的な愛の力から生まれる様々な行動で、完璧主義で規律に満ちた生活をおくるレイノルズの心をかき乱していく。2人の関係の主導権が移り変わるなか、ある日、アルマがとった驚くべき一手によって、愛の心理戦が急展開を迎えることに……。

『ファントム・スレッド』5月26日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
(c) 2017 Phantom Thread, LLC All Rights Reserved

アカデミー賞6部門でノミネートを果たした本作の立役者たち

監督は、47歳にしてベルリン、カンヌ、ヴェネチアの世界三大映画祭すべてで監督賞受賞歴があり、今年のアカデミー賞では『スリー・ビルボード』(2017年)のマーティン・マクドナーを抑えて、監督賞ノミネート入りを果たした米映画界の寵児、ポール・トーマス・アンダーソン。

主演は、世界で唯一アカデミー賞主演男優賞に3度輝き(『マイ・レフトフット』(1990年)、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2008年)、『リンカーン』(2013年))、本作をもって俳優業引退を発表している名優ダニエル・デイ=ルイス。徹底的な役作りで知られる彼は、約1年間、ニューヨークの裁縫師に従事し、有名ブランド、バレンシアガの衣装を一から作るなどして撮影に挑んだという。

これ以上ないほど高歴な2人のコラボレーションに、舞台はオートクチュール界ときており、予告編だけ見ると、格式高く上品な映画を想像してしまうことだろう。

『ファントム・スレッド』5月26日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
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とはいえ、アンダーソンといえば、『ブギーナイツ』(1998年)では70~80年代のポルノ業界の光と影を描き、『マグノリア』(2000年)では悲喜こもごもの男女9人を描いた群像劇で、空からカエルを降らせた人物。異色なロマコメ『パンチドランク・ラブ』(2003年)、新興宗教の創始者をモデルとした『ザ・マスター』(2013年)、マリファナ中毒の私立探偵の翻弄を描く『インヒアレント・ヴァイス』(2015年)など、様々なジャンルの映画を、突拍子もない演出で描く。

そんな彼の脳から出てくる新作が、上品で美しいだけであるはずがない。観ている方も、映画前半は華やかな社交界と高価なドレス、官能的な描写に酔うものの、後半はズルズルと愛の泥沼に引きずり込まれていく。

『ファントム・スレッド』5月26日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
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女性陣の存在も重要だ。屋台骨としてレイノルズのファッション帝国を担うのは、無口・無表情ながら厳格さと母性を兼ね備えた姉のシリル。同役を演じた英ベテラン女優、レスリー・マンヴィルは、アカデミー賞助演女優賞にノミネートを果たした。

アルマ役のクリープスは、ルクセンブルグ出身で数々のヨーロッパ作品で知られる若手実力派。物憂げな立ち振る舞いのなかに、ミステリアスで強固な何かを秘めた微笑は、アルマにぴったりだ。名優ルイスと互角に心理戦を繰り広げるさまは、同作で一番印象的だった。

『ファントム・スレッド』5月26日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
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二人が導き出した究極の「愛の形」とは?

題名『ファントム・スレッド』(直訳は「幻の糸」とでもいうべきか)は、レイノルズが作る服の裏地に秘密のメッセージを糸で縫い込むことを表しており、このメッセージには、レイノルズの他界した母への断ち切れぬ想いが込められている。母、姉、妻、社交界のクライアントなど、孤高の立ち位置で女性たちを翻弄していたレイノルズだが、服の裏地にメッセージを縫い込み続けた彼の行動は、実は愛されたい、女性を支配する苦しさから解き放たれたいという願いの現れだったのではないだろうか?

そんなレイノルズが、アルマとの主導権を奪い合う心理戦の果てに選んだ究極の愛の形は、支配する苦しさとプライドから逃れ、アルマに束縛される安心感に身をうずめることだったのかもしれない。

『ファントム・スレッド』5月26日(土)よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!
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音楽も重要な役割を担っている。担当したのは、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以来、アンダーソン作品の常連となっているレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。台詞が少ない同作において、静かながらサスペンスフルな音楽の抑揚が、次の展開を予測させる効力を発揮している。

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試写会後の質疑応答で、「一体全体、どうしてこの作品を作ろうと思ったのか?」と聞かれたアンダーソン監督は、「あるとき、病気で寝込んでいたら、妻が介抱しにきた。そのときの妻の顔は、しばらく見たことのないような愛情深い顔だった。それで企画を思いついて、すぐにダニエルに電話したんだ」と答え、笑いをさらった。(妻は、「サタデー・ナイト・ライブ」の常連で、大ヒット映画『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』(2012年)でも有名な人気コメディエンヌ、マーヤ・ルドルフ)。

冗談なのか本当なのかは別として、これはまさに、同作の核心のヒントである。この発言と映画のオチの関係については、ネタバレになるのでここでは控えるが、映画を観た後に膝をたたくか、笑うか、ドキリとするか。皆さんの反応はどうだろう?