デヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)と、ダニー・ボイル監督の『スティーブ・ジョブズ』(2015年)。両作のシナリオを書いたのが、脚本家のアーロン・ソーキンだ。前者では卓越した構成力でアカデミー賞脚色賞を獲得し、後者では名作戯曲を思わせる高い完成度のシナリオを創り上げた。そんな、現アメリカ映画最高峰のシナリオライターのひとりであるソーキンが、ついに自らメガホンを取った。それが、5月11日より公開となる『モリーズ・ゲーム』である。

実録ものの名手が選んだ意外な女性

マーク・ザッカーバーグ、スティーブ・ジョブズと、実録ものが続いたソーキンだが、初監督作品となった本作でも描くのは実在の人物。日本での知名度は低いが、2014年に出版し、ベストセラーとなった『モリーズ・ゲーム』でスキャンダルを巻き起こしたモリー・ブルームというアメリカ人女性だ。

モリーは幼い頃からスキーヤーとして活躍。21歳のときにはモーグルで北米ランキング3位に登りつめたアスリートであったが、ソルトレーク冬季オリンピック最終予選で大怪我を負い、選手生命を絶たれる。

それから5年後、彼女はレオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、ベン・アフレックらハリウッドスターも集う超高級ポーカールームを経営していた。まだ20代半ばの女性が、名だたるセレブたちを相手に渡り合う。結果、違法なゲームを取り仕切ったとされ、FBIに逮捕されるのだが、映画では賭博という完全な男社会で孤軍奮闘するモリーの姿を活写していく。

元アスリートらしい勝負勘の良さ。どんな人にも気圧されない度胸。媚びるような真似など絶対にしないプライド。それでいて、胸元を強調したセクシーなファッション。つまり、女であることを利用はしないが、女であることは決して手離さない。そんな気っ風の、すがすがしいヒロイン像に、観客はたちまち魅了されるだろう。

モリー・ブルームを演じるのは、ジェシカ・チャステイン。ジェシカならではの知性が絶妙に施され、決して男に頼ることなく己の道を切り拓いていく姿には、同性、異性を問わず憧れと共感を呼びそうだ。

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鮮やかな感動を呼ぶ、深い人間洞察

だが、アーロン・ソーキンが単なるカッコいいヒロイン映画を撮るわけもない。

ソーキンならではのソリッドかつ的確な時系列操作術を据えながら、本作はモリーの根源に迫っていく。過去と現在が行き来することで、観客は小気味よく主人公の心象に接近することができ、過去と現在がカジュアルな会話を楽しんでいるかのように軽快だ。

それはまさにソーキン文体と呼びうるオリジナリティ。『ソーシャル・ネットワーク』や『スティーブ・ジョブズ』も、この文体あればこその秀作だった。

モリーがポーカールームという闇のビジネスで才覚を発揮していったのは、アスリートとしての夢に破れたからではない。それは敗者の復活戦でもなければ、雪辱戦でもない。ソーキンは、まるで凄腕のジャーナリストのようにモリーの深層心理を解読していく。

そもそも、モリーがスキーの世界に飛び込んだきっかけは、父親の存在だった。心理学の教授でもある父親への屈折したファザーコンプレックスこそが、モリーの不屈の精神の拠りどころであり、同時に乗り越えるべき壁だったのではないか? ソーキンはそんな推理で物語を構築してみせる。

おそらくソーキンは、優れた取材者であり、インタビュアーでもあるのだろう。モリー・ブルーム本人と対面して、彼女の回顧録「モリーズ・ゲーム」には書かれていないエピソードを聞き出し、その上で脚本、監督を手がけたのだという。

そして、本作には、父親の他にもうひとり、重要な人物が登場する。モリーに雇われる黒人弁護士だ。決して馴れ合いの関係にはならず、あくまでも冷静にビジネスとして彼女を「護ろうとする」弁護士の姿にこそ、ソーキンのまなざしは注がれているのではないか。

モリーと弁護士は対等の関係だ。互いに甘えることも、もたれかかることもない。ロマンスはもちろん友情さえもそこには漂わない。毅然として、人間を凝視する。アーロン・ソーキンならではの筆致が映えるキャラクターである。

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『ソーシャル・ネットワーク』や『スティーブ・ジョブズ』がそうであったように、『モリーズ・ゲーム』もまた、主人公の第一印象が、映画を観終えたとき、鮮やかに変化している。その、なんとも言えない幸福な余韻を噛みしめるために、この作品はあると言っても過言ではない。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)