文=赤尾美香/Avanti Press

1994年1月。同年2月にノルウェーのリレハンメルで開催される冬季オリンピック選考会を兼ねたフィギュアスケート全米選手権の会場で、女子フィギュアの有力選手ナンシー・ケリガンは、何者かに膝を殴打されて怪我を負った。選手権への欠場を余儀なくされるも、特例でオリンピック出場権を得て、見事銀メダルを獲得。当時、この「ナンシー・ケリガン襲撃事件」は日本のニュースでも大きく報道された。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
(c)2017 AI Film Entertainment LLC.
5月4日(金・祝)より TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー

しかし本作『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』の主人公は、トラブルを克服してメダルを獲得したナンシーではなく、トラブルを引き起こした側の人間。ナンシーのライバルだったトーニャ・ハーディングである。才能に恵まれながら、女子フィギュア史上最も嫌われたトラブルメイカー=トーニャの半生は、壮絶にして波乱万丈だ。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
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5月4日(金・祝)より TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー

女子フィギュア史上最も嫌われた天才の壮絶な半生

1970年、アメリカはオレゴン州ポートランドで生まれたトーニャは、俗に“ホワイト・トラッシュ”という蔑称で呼ばれる白人の低所得者層(学や作法がなく道徳観念が希薄とも言われる)家庭で育った。高圧的で暴力的な鬼母ラヴォナはトーニャに愛情を注ぐこともしない。ところが、幼いトーニャがスケートの才能を開花させると、娘こそが貧困脱出の手段になり得ると踏んで、少ない稼ぎの中からレッスン代を捻出しコーチを付ける。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
(c)2017 AI Film Entertainment LLC.
5月4日(金・祝)より TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー

トーニャは、1991年の全米選手権でアメリカ人初のトリプルアクセル成功者となり、世界選手権でも2位を獲得。92年のアルベールビル五輪で結果を残せず、一時はバイトをしながらの競技生活を強いられるが、再び奮起してリレハンメル五輪を目指す。そして94年、ナンシー・ケリガン襲撃事件が起きた。ナンシー不在の大会で優勝したトーニャはリレハンメルの出場権を獲得するが、ほどなくして逮捕された事件の犯人はトーニャの元夫ジェフと、その友人たちだった。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
(c)2017 AI Film Entertainment LLC.
5月4日(金・祝)より TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー

トーニャ自身も事件への関与が疑われるなかで出場したリレハンメル五輪では靴紐のトラブルに見舞われ、最終的には8位と結果は振るわず。一方、事件の被害者ナンシーは銀メダルを獲得。しかも五輪後の裁判でトーニャは、スケートを続ける道を断たれてしまう。「スケートだけは続けさせてほしい」という涙の訴えも虚しく……。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
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“ホワイト・トラッシュ”の悲哀を体現したマーゴット・ロビーの熱演

トーニャを演じたマーゴット・ロビーは、マーティン・スコセッシ監督作『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年)で注目を集め、DCコミックスの実写化作品『スーサイド・スクワッド』(2016年)のハーレイ・クイン役で日本でもブレイクを果たしたが、共同プロデューサーにも名前を連ねた本作では、実在のトーニャになりきった演技が高く評価され、アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた。

4か月に及ぶスケートの猛特訓は、自身の結婚式前日も休まなかったという。しかもオーストラリア人の彼女にとっては超難題であるアメリカ北西部の低所得者層が話す訛りも身に付けた。

そうしてマーゴットが作り上げたトーニャは、スキャンダルにまみれながら、ホワイト・トラッシュの悲哀を隠さない。お金も学もなく愛情にも恵まれない。母や愛する男からの虐待にもなす術を持たない(あまりに日常化した暴力のせいで、それを受けるのは自分のせいだと思い込んでいる)。お世辞にも品があるとは言えない粗野な振る舞いや口汚さは、見ている我々をなんとも残念な気持ちにさせるが、と同時に、そこにいくばくかのユーモアが入り込んでいることに救われる。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
(c)2017 AI Film Entertainment LLC.
5月4日(金・祝)より TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー

ZZトップ(米テキサス出身の人気トリオ・バンド。“レッド・ネック”と呼ばれる米南部の田舎に暮らす保守的な白人低所得者層が好むバンドでもある)の曲で滑るというエピソードなどは、思わず笑ってしまう。そうした逸話も含め、「フィギュアは芸術性に富んだ格調高い競技であり、そこに貧乏人の入る余地はない」という選民意識を持ったスケート関係者にとって、トーニャ母娘の品性に欠ける言動や手縫いの粗末な衣装がいかに受け入れ難いものであったかは、劇中の彼らの対応を見ればよくわかるが、気づけばトーニャに肩入れしている自分がいる。

どうしようもないヤツだけど憎めない。ないないづくしの人生で唯一スケートだけが拠り所であったトーニャの本気が根底に貫かれたマーゴットの演技が、そんな共感を「あり」にしているのだと思える。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
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5月4日(金・祝)より TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー

映画賞を総なめにした“鬼母”役のアリソン・ジャネイ

さらに、主演のマーゴット以上に凄まじい演技を披露したのは、母ラヴォナを演じたアリソン・ジャネイ(エミー賞7回受賞の実力派)で、彼女は本作によりアカデミー賞助演女優賞とゴールデングローブ賞助演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)を獲得した。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
(c)2017 AI Film Entertainment LLC.
5月4日(金・祝)より TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー

そもそも、脚本家のスティーヴン・ロジャースは、長年の友人であるアリソンをイメージしてラヴォナを書いたそうだが、容貌の作り込みもさることながら、その演技たるや鬼気迫るものがあり、なおかつやはりここにも行き過ぎたクレイジーさが引き起こすユーモアが存在。まさに怪演と呼ぶにふさわしい演技を見せ、観る者を圧倒する。

それぞれの言い分がぶつかりあう、型破りなストーリーテリング

破天荒と言えば、本作のストーリーテリングの手法もかなり型破りだ。通常のドラマ部分に登場人物たちが過去を語るインタビュー映像(もちろん演じているのは俳優たち)が挟み込まれたり、主人公がいきなりスクリーンのこちら側にいる観客に向かって話しかけたりする一風変わった構成。例えば夫に暴力を受けている最中、突然トーニャがカメラ目線になって「これが真相よ」と観客に語りかけたりするし、当事者たちの言い分がそれぞれ微妙に食い違っているのも興味深い。

『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
(c)2017 AI Film Entertainment LLC.
5月4日(金・祝)より TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー

演技派と新進若手、ふたりの名女優が火花を散らした『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、トーニャ・ハーディングというひとりのスケーターの物語であり、ひとりの女性の青春期の物語であり、トーニャとラヴォナの母娘の物語であり、アメリカという国が抱えている貧困という問題をリアルに描いた物語でもある。

お金になるなら娘をメディアに売ることも辞さない母と、母を完全拒否できない娘の歪んだ共依存や、間違った恋愛や結婚もまた、ホワイト・トラッシュの現実が引き起こしていることを思うと、やり切れなさが募るのだ。それでいて、鑑賞後の気分に鬱々としたものはなく、むしろ晴れやかなくらい吹っ切れているのは、映画の最後に、スケート界を離れた後のトーニャがハチャメチャにしぶとく彼女の人生を歩んでいることが、観客に知らされるからだろう。