文=まつかわゆま/Avanti Press

前作『ハッピーアワー』(2015年)がフランスで公開中の濱口竜介監督。新作『寝ても覚めても』が、カンヌ映画祭メイン部門となる長編コンペティションに選出された。初の三大映画祭出品作品がコンペに選ばれるのは快挙と言っていい。

カンヌでは『ASAKO 1&2』というタイトルで上映された『寝ても覚めても』。海外タイトルの意味を聞かれた監督は「『ASAKO 1&2』はヒロイン、朝子の二面性という意味ではなくて、第一幕、第二幕で、ぱっと変わるという意味合い。海外セールス会社の提案を受け、なるほどいいじゃないかと思ってつけました」と言う。

左から東出昌大、唐田えりか
撮影=まつかわゆま

濱口監督にカンヌが寄せる期待

カンヌ映画祭長編コンペティション部門への道は、結構長い。

まずシネフォンダシオン(学生映画)部門か、短編部門で何らかの賞を受賞する。長編を作って、批評家週間か、監督週間に出品する。もしくはある視点部門に選ばれる。運が良ければここでカメラドール(新人監督賞)をもらい、そしてやっと長編コンペティションへの扉が開かれる。

しかし、濱口監督はそのすべてをショートカット。いきなりの長編コンペ入り、なのだ。とはいえ、カンヌはそんなに甘くない。初カンヌでコンペ入りする監督も、初コンペで受賞する監督もまれにではあるがいる。だが、たいていの監督は、席の埋まらないリュミエール劇場、ガラガラの記者会見場という洗礼を受けるもの。河瀨直美監督だって、是枝裕和監督だって、かつてはそうだったのだ。

左から東出昌大、濱口竜介監督、唐田えりか
撮影=まつかわゆま

濱口監督にはカンヌ映画祭の期待がかかる。ここ10年以上、「日本の監督といえば、北野(武)、河瀨、是枝、黒沢(清)、三池(崇史)。他にいないのか」と言われ続けてきた映画祭が新しい監督の発掘を試み、白羽の矢を立てたのが、昨年、ある視点部門に選ばれた深田晃司監督であり、濱口監督だ。

『ハッピーアワー』の好評もあり、フランスに温かく迎え入れられた濱口監督。「『ハッピーアワー』も、『寝ても覚めても』も、愛を描く映画だからフランスでは好意的なんだと思います」とその理由を分析する。

リュミエールでの上映の際はスタンディングオベーションが10分近く続き、朝子役の唐田えりかは両手で顔を覆い泣き続けた。客席の2階、3階から降り注ぐ拍手。バルコニーから身を乗り出して拍手する観客たちに麦と亮平の二役を演じた東出昌大は、手でメガホンを作り、大きな声で呼びかけた。「メルシー!!」と。その声を受けて、また、拍手は続く。

記者会見の様子
撮影=まつかわゆま

そんな興奮冷めやらぬ中、監督は言う。「万感の思いです。時間をかけて作りましたが、果たして観客は気に入るかどうか、半信半疑でした。朝子の行動は人の感情を逆なでするかもしれない、と思っていたので。それがこんなに温かい反応をいただけるとは。

フレームの中(映画)だけ観たい人もいれば、文化を共有したい人もいます。でも(ベースの)文化が異なる海外では、特に不安なんです。でもちゃんと伝わったという実感がありました。いや、むしろ、この人たちはここで笑うのか、自分たちが作った映画はこういう映画だったんだと、気づかされることすらありました」

記者会見の様子
撮影=まつかわゆま

東出が明かす。

「実は撮影中、プロデューサーとの合い言葉が、“これでカンヌに行こう”だったんです(笑)。濱口監督の東京藝術大学大学院の教授でもある黒沢清監督とお会いしたとき、こそっと“濱口、カンヌ狙ってるの”と聞かれて、“はい”と答えたら、“ふうん”とおっしゃっていました(笑)。若い芽を摘もうとしている! と思いましたよ(笑)」と冗談まじりに。

濱口監督は、「僕は狙っていません。俳優とプロデューサーたちが言っていただけ(笑)。以前、“プロデューサー・ピッチ”という、若手作家の企画をプロデューサーと磨く、カンヌのプロジェクトに参加したことはあります。カンヌ映画祭には簡単に参加できるものではないと思っていましたので」とそれに反論。

話すうちに、監督も東出も饒舌になっていくのは、カンヌにいる実感が高まり、ハイになっていたのかもしれない。

意見が分かれた海外記者らの感想

海外の記者たちの反応は、面白いことに西洋と東洋で分かれた。特に意見が分かれたのは、監督も気にしていた、麦と亮平、顔は同じだが対照的な男の間で揺れる朝子の行動について。

中国の記者は「あんなことされたら、僕だったら倫理的に絶対許せないです」といい、亮平や友人たちの行動を支持すると語った。

しかし、フランスの記者は「日本では、そんなに批難されることなんですか? いいじゃないですか、別に」と不思議そうに言う。“女性の不倫は絶対悪”とする儒教的倫理観と、“不倫は文化で恋愛に壁はない”というフランスの恋愛観の対立といえばいいのか。

濱口監督は、このフランスの記者の反応を面白がっていた。二人の男を同時に愛するヒロインが世間に責められるというのが前提の映画だからである。「当たり前ですよね」と言われると「やや困る」のだと。

『寝ても覚めても』
9月1日(土)テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町、 渋谷シネクイントほか全国公開!
(c) 2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/ COMME DES CINEMAS

「朝子は二人の男性の間で迷いますが、彼女はただ率直な愛情表現をしているだけなんです。論理や倫理よりも感情を選ぶ。人間として素直な感情を押し殺し続けると、いつか自分を破壊することになるのではないでしょうか。そうしたら、そうやってつきあってきた人間関係をも破壊することになる。ならば感情に従うべきではないかと僕は思うんです。だから100パーセント、朝子を支持しています。

恋愛映画は難しいですね。恋愛は狂気を含むもの。映画はその狂気を甘くコーティングして描くわけですが、それが難しい。朝子が責められる設定には、古めかしさがあるかもしれません。でもその設定のうえに現代的な愛が描けたら、うまくいけば面白いものができるなと思ったんです。まぁ、柴崎友香さんの原作がすごく面白くて、映画化したいと思って始めた企画なんですけれど」(濱口)

『寝ても覚めても』
9月1日(土)テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町、 渋谷シネクイントほか全国公開!
(c) 2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/ COMME DES CINEMAS

恋愛の狂気とは、恋に落ちると相手しか見えなくなり、相手のどんなところも美しく正しく清く見えてしまうことを指すのだろうか。なるほど、客観的な恋愛なんて確かに成り立たなさそうである。

濱口監督が生み出した“濱口メソッド”とは?

フランスは伝統的に演劇の国でもある。演技が巧い、と言われる俳優たちは、演劇の教育を受け、舞台の経験を積んだことを誇る。しかし、濱口映画の演技はその対極にある。そこが新鮮に見えるのだろう。「まさにヌーヴェルヴァーグ。何であんなにデリケートに、かつ演技が透明になったような軽やかさでアプローチできるのか」とフランス人記者の言うこともわかるような気がする。舞台演技から映画を切り離し、自然に、演技らしくない存在感を求めたのが「ヌーヴェルヴァーグ」だったのだから。

「ドキュメンタリーの経験から言って、カメラに対して自分の人生を差し出してくれる人が、映画に力を与えるのだと考えました。映画にその人の人生を持ち込む、という感じですね。それをフィクションで実現する方法というのを考えて、たどり着いたのが、本読みの重視という方法でした。東出さんは“濱口メソッド”なんて呼んでくれていますが、そう定まったものではありません。

まるで演技していなさそうに見せる方法として、まず全員で脚本からニュアンスを抜き、棒読みすることを繰り返して、テキストを覚えていきます。その状態で現場ではどう演じてもいい。本読みを繰り返した役者が、現場に役として立つと自ずと役柄のニュアンスが出てきます。その感じにはいつも驚かされます。この役柄は、こういう人だったのと」(濱口)

フォトコールの様子
撮影=まつかわゆま

東出は、「小手先の演技プランではなく、まず完全に素人に戻るところから始めて、そこにテキストをしみこませる。その状態で現場に立って二役を演じたのですが、二人の男の描きわけがなされた台詞が、僕という体を通してそれぞれの人間として現れてくるんです。こんな方法を考え出す濱口監督って天才ですよ」と、心酔している様子。

濱口監督にカンヌ映画祭後の予定を聞いてみる。

「全く考えていません。こんなに何も予定していない状態は人生でも珍しいです(笑)。でもたぶん何かの出会いがあるだろうと、漠然と期待しているところです」