ダニエル・デイ=ルイスが1950年代のクチュリエ(服のデザインをする仕立て屋)を熱演し、俳優を辞めてクチュリエを目指すという噂を引き起こした映画『ファントム・スレッド』。第90回アカデミー賞で衣装デザイン賞受賞を始め、6部門ノミネートを果たしました。

ロンドンでクチュールハウスを主宰するレイノルズ・ウッドコックと、彼のミューズで恋人のアルマが織り成す、美しくも恐ろしいゴシック・ラブストーリーです。あっと驚くラストが待つ、ひとひねりある恋愛物語なのですが、このラブストーリーにはオートクチュールの歴史が重ねられているようにも思えます。

今回は、本作のメッセージをより深く理解するために、オートクチュールの歴史を紐解いてみましょう。

オートクチュールの誕生

オートクチュールとは、1866年に誕生したパリ・クチュール組合に加盟している店で作られる、注文服やその店を指します。オートクチュール以前は、生地メーカー、装飾品メーカー、クチュリエ(服のデザインをする仕立て屋)、縫製担当者と服の生産は細かく分業されていました。1着の服を仕立てるために、顧客は様々な店へ足を運び、注文から納品まで気の遠くなるような時間がかかったのだとか。

当時、フランス皇室ご用達だったクチュリエのシャルル・フレデリック・ウォルトは、効率を高めるためにパリ・クチュール組合を発足。クチュリエが生地の選択、デザイン、最後の仕上がりまで担当することになりました。

映画内で、ウッドコックが顧客のドレスに「呪われることなく」という文字を縫いこんだ刺繍をアルマが見つけるシーンがあります。ウッドコックが自分の名前をドレスに縫いこんでいたシーンは作中では見られませんが、クチュリエの名前をドレスに縫いこむことはウォルトが始めたと言われています。それまでは顧客の言うとおりにドレスを作っていたクチュリエが、ウォルト以後は、新しいモードを提案する重要な存在になりました。

長らく栄えたモードの都パリですが、第二次世界大戦後は街が戦火に燃えてしまい、オートクチュールは衰退してしまいます。そこで、フランス政府は、国をあげて繊維を輸出しようとパリ・クチュールを復活させることを画策。その結果、クリスチャン・ディオールが“ニュー・ルック”を発表します。

第一次世界大戦と第二次世界大戦中に、女性が男性の代わりに働いていたことから、当時の女性のドレスは裾が短くなり、コルセットも取り去ったシンプルで機能的なスタイルになっていました。

ウッドコックのデザインにみる「ニュー・ルック」

ところが、ディオールが流行させたニュー・ルックは、それまで主流だった着心地のよい女性の服を19世紀の窮屈なスタイルへと逆戻りさせます。物資不足だった戦争中の男性的なファッションに飽き飽きしていた多くの女性は、コルセットに締め付けられた細いウエストとふくらんだスカートに飛びつきました。彼女たちの目には、貧しいシンデレラがプリンセスへと変貌する、“希望”としてニュー・ルックが映ったのでしょう。

映画の全編に散りばめられた女性の様々な衣装は、どれもニュー・ルックの影響が見受けられます。

同時期に、スペイン人のクリストバル・バレンシアガやアメリカ人のチャールズ・ジェームズといったクチュリエなども活躍。本作の監督と脚本を務めたポール・トーマス・アンダーソンは、バレンシアガの作品と人物にインスパイアされてこの映画を制作したといいます。バレンシアガの顔立ちとストイックな人生が、デイ=ルイスを想起させたのだとか。

ウッドコックとアルマの出会いから見える「ファッションの民主化」

ある日、ウッドコックはカフェで若いウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)に出会います。一分の隙もない身のこなしのウッドコックを眩しく見上げるアルマ。そんな純真な彼女に創造力をかき立てられるウッドコック。みるみるうちに美しく洗練されていくアルマは、ミューズとして、恋人として、アシスタントとしてハウス・オブ・ウッドコックに欠かせぬ存在に成長していきます。

けれども、東ヨーロッパの田舎娘アルマが、なぜロンドンの一流クチュリエ、ウッドコックの創造力の源となったのでしょう?

それは、「ファッションの民主化」が原因かもしれません(※1)。1950年代から60年代は、公民権運動、フェミニズム、学生運動や市民運動など、世界各地で社会・政治革命の嵐が吹き荒れ、社会階級間の壁が取り払われていった時代。

ウッドコックは、そんな時代の変革をひしひしと感じ取っていたからこそ、アルマから放たれる“新しい時代”の魅力に強烈に惹かれたのではないでしょうか?

ウッドコックとアルマの関係は、“オートクチュールとプレタポルテ”の未来

愛し刺激し合っていたウッドコックとアルマですが、“変わろうとしないお互い”に、次第にイラ立つようになります。ウッドコックは、自分が長年培ったライフスタイルや仕事にアルマが干渉することが許せません。そして、決して自分を受け入れようとしないウッドコックを許せないアルマ。ついに、彼女はある決断をします……。

どうしても分ち合えない部分がありながらも、お互いを必要としている二人の関係は、オートクチュールとプレタポルテ(既製服)の、切っても切れない関係のよう。

事実、1940年代以降から現在に至るまでオートクチュールの顧客は減少の一途を辿っています。1943年には2万人以上いたクチュールの顧客は、1970年には2000人、1990年にはたったの200人になってしまったのだとか。(※2)

ウッドコックが活躍していた時期は、ちょうどオートクチュールの衰退が始まった頃。クチュールの顧客でさえ、最新の音楽やアートで飾られたデパートで既製服を買うようになっていたからです。

このオートクチュールの変化は、あるシーンによく表われています。自分の上顧客がほかのもっと“シックな”クチュールハウスに鞍替えしたことを聞き、悲痛の叫び声を上げるウッドコック。「シックってなんなんだ!? 私には理解できない!」。あたかも、“シック”という言葉がプレタポルテ(=“新しい時代”)を暗示しているみたいですね。

ウッドコックのようなクチュールハウスの大半は「ファッションの民主化」に対抗できず、消え去りました。生き残ったクチュールは現在の高級ブランドとなり、いまやグローバル企業化しています。その結果、株主を満足させるために短期間で利益を上げなくてはいけなくなりました。

高級ブランドは、オートクチュール部門、プレタポルテ部門、バッグ・アクセサリー部門、香水・化粧品部門などを携え、職人の最高技術を備えたオートクチュール部門のコレクションで、まずモードを実験するように。そこで成功したモードを、より大きな市場を抱えるプレタポルテや他部門に落としこみ、商品を大量生産するためです。

一方、商品をより多くの人に売るためには、プレタにとってクチュールのもつ“高級”なブランドイメージも非常に大切。これが、現代のオートクチュールとプレタポルテの持ちつ持たれつの関係だと考えられています。

1着のドレスにかける職人の伝統技術、時間、想いこそがファッションの芸術を生み出す――。商業化してしまったオートクチュール、そして、生産と消費を猛スピードで繰り返す現代社会に、本作は警鐘を鳴らしているのかもしれません。

(文:此花さくや)

【参照】
※1…文庫クセジュ「オートクチュールーパリ・モードの歴史」フランソワ=マリー・グロー著 中川高行/柳嶋周訳 鈴木桜子監修
※2…講談社「堕落する高級ブランド」ダナ・トーマス著 実川元子訳