せつない役、一途な役、ほっこりする役。瑛太は、そんなふうに観客の心象を穏やかにする俳優でもあるが、一方で、ハラハラドキドキせずにはいられない“凶暴な刃”を隠し持った演じ手でもある。2002年に公開された、映画デビュー作『青い春』から16年。「心にナイフを忍ばせた少年」は、5月25日より公開となる『友罪』で「少年A」を演じ、自らの原点を増幅させる圧巻の演技を見せている。

相手を拒絶する分厚いガラスの壁

松本大洋原作の『青い春』で、瑛太は銀幕に初登場を果たした。不良少年たちの青い春を、ヒリヒリとした痛みと共に見つめ抜いたこの映画で瑛太が演じていたのは「オバケ」という名のキャラクター。何を考えているのかわからないし、何をしでかすかもわからない。いつ暴発してもおかしくない凄みと狂気。獰猛でありながら、透明。澄んだ獣性が、そこにはあった。

『青い春』の主演は松田龍平。以後、瑛太と松田はさまざまな作品で共演するようになる。伊坂幸太郎原作の『アヒルと鴨のコインロッカー』(2007年)では瑛太が主演、松田が助演。そして、三浦しをん原作の『まほろ駅前多田便利軒』(2011年)から始まる映画・テレビにまたがるシリーズでは、瑛太&松田のコンビが完成した。

これは深読みしすぎかもしれないが、松田が錦戸亮と共演し、今年2月に公開された『羊の木』は、瑛太の新作『友罪』と、その設定がかなりリンクしている。

『羊の木』は、元殺人者(松田龍平)と市役所職員(錦戸亮)の不思議な友情を描いたが、『友罪』は、かつて犯罪を犯し、現在は偽名でひっそり生きている青年(瑛太)と元ジャーナリスト(生田斗真)の困難な友情を見つめている。松田も瑛太もそこで、身を隠すように生きる寡黙な男を演じている。錦戸と生田が共にジャニーズ事務所所属だというのも、単なる一致を超えた運命を感じさせる。

瑛太も、松田龍平も、沈黙が画になる、サイレンスが映画になる力量を持った俳優だ。演じる人物のすべてをさらけ出すのではなく、観客に想像させる。声を発しなくても、ただそこにいるだけで、その存在感だけで、観る者を支配してしまう迫力がある。

あえて比較するならば、松田の無言の迫力には、相手を呑み込むようなところがある。一方、瑛太の無言の迫力には、相手を遮断するようなところがある。ふたりとも、人間の孤独を、そして、孤独な人間を演じることに長けた俳優だが、松田の根底には不定形なエネルギーが渦巻いているのに対し、瑛太が醸し出すのは分厚いガラスの壁のような趣である。

(C)薬丸岳/集英社 (C)2018 映画「友罪」製作委員会

近づきたいのに近づけない存在

まるでバリアを施すように、相手の介入を拒否する孤立した魂。それを体現するとき、瑛太は最良のオリジナリティを発揮すると思う。

たとえば、『青い春』の豊田利晃監督とコラボした『モンスターズクラブ』(2011年)や、三浦しをん原作の『光』(2017年)は、彼の芝居が孕む「刃」が如実に立ち現れている。とりわけ、『まほろ駅前多田便利軒』の大森立嗣監督との『光』では、薄ら笑いで苛烈な激情をコーティングした、底知れないキャラクターを力演し、巨木のようにスクリーンに立ち尽くしていた。

『友罪』は、かつて神戸で起きた現実の痛ましい事件がモチーフとなっている。陰惨にして凶悪なその殺人事件の報道は当時社会現象にもなった。『友罪』はあくまでもフィクションだが、その頃に「少年A」として報道された犯人が、もし現代社会で更生し、働いていたら? との仮定から紡がれた物語だ。

生田斗真扮する青年・益田には、かつていじめで自殺してしまった同級生がいる。彼を救うことができなかったことが大きな負い目としてあり、その罪悪感に苛まれている。結果的には、ジャーナリストになる夢も断念して、いまは町工場で働いている。

そんな益田が出逢った同僚のひとりが、瑛太扮する青年・鈴木だった。ふたりは、互いに欠落を抱えた者同士、ある種のシンパシーで結ばれ、友情を育んでいく。しかし、やがて益田は、鈴木が「少年A」だったことを知る。そんな筋書きである。

罪や赦しという大命題と、友だちという私たちの身近にある情をつなげた本作は、瑛太扮する「少年A」の姿を通して、深い問いかけを投げかけていく。それは、「大切な友だちが、もし、かつて犯罪者だったら?」というものだ。

この劇構造において瑛太が張り巡らす「バリア」は、観る者の感情に強い揺さぶりをかけてくる。無骨で不器用だが、ときに人間的な瞬間を垣間見せるこのキャラクターには、既知の部分と未知の部分が混じり合っている。私たちがよく知っているシャイネスを感じつつも、その先には、どうにも理解しがたい個性がうごめいている。

こんな人いる。こんな人いない。双方の感覚が、見る人の内部でぶつかり合う。近づきたい。近づけるような気もするが、近づけないかもしれない。瑛太は、そんな人物を演じると唯一無二の説得力がある。

(C)薬丸岳/集英社 (C)2018 映画「友罪」製作委員会

本作における鈴木の「バリア」は、自分を守るためのものでもあるが、相手を傷つけないようにするためのものでもある。だから、せつない。自己を押し殺していた青年の告白を映画は見守り、瑛太は全身で表現する。その震えや狂おしくも美しい叫びが、『友罪』にある。どうにもならない衝動も、もう誰のことも傷つけたくない願いも、当たり前に生きることへの渇望も、瑛太はすべてを等価のものとしてかたちにしている。これが瑛太という俳優だ。『友罪』には、瑛太の真価が丸ごと映っている。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)