取材・文=大谷隆之/Avanti Press

約30年間、家の敷地からほとんど出ず、ただひたすら庭の草木や小さな生き物たちを観察し、愛で、描き続けた伝説の画家・熊谷守一。沖田修一監督の最新作『モリのいる場所』は、“画壇の仙人”とも呼ばれたこのユニークな芸術家の、94歳の夏の1日を切り取った物語だ。

主人公のモリ(=守一)と妻・秀子を演じるのは、日本が誇る名優・山﨑努と樹木希林のコンビ。他にも加瀬亮、光石研、青木崇高、吹越満、三上博史などの実力派が顔を揃えた。沖田作品らしいトボケた会話や、独特のカットの間合いが何とも楽しい。

『モリのいる場所』
シネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋、イオンシネマほか全国にて公開中
(C)2018「モリのいる場所」製作委員会

そしてもう1つ。絶妙な演技アンサンブルに加えて、本作の魅力をより際立たせているのが、「agraph(アグラフ)」の名義でも活躍する電子音楽家・牛尾憲輔さんによるサウンドトラックだろう。大ヒットした長編アニメ『聲の形』(2016年)で、思春期のひたむきさや心の痛みを体現する繊細な楽曲を手掛けた人──と言えば、思い当たる読者も多いのではないか。その後も『DEVILMAN crybaby』(2018年)や『リズと青い鳥』(2018年)など、話題作を次々に担当。実写作品は今年2月に公開された白石和彌監督『サニー/32』に続いて2本目となる。

世界を映し出すフォーカスの細やかさ

もともと『南極料理人』(2009年)や『滝を見にいく』(2014年)などの沖田作品が好きだったという牛尾さん。『聲の形』を見た監督から直々のオファーを受け、制作チームに加わることになった。共同作業を重ねていくうち「自分が監督の作品に惹かれる理由が少しずつ見えてきた気がします」と振り返る。

「物事へのフォーカスの当て方が、いい意味で小さいというか……通常のブロックバスター映画ではまず描かれない微妙な機微を、すごく大事にしておられる方だなと感じました。しかも、そういう些細な感情を積み上げる中で、それこそ『滝を見にいく』みたいに、気が付くと突拍子もない事件が起きていたりする(笑)。僕自身、ディテールを顕微鏡的に作っていくのは大好きなので。それで沖田作品を見ると幸せな気分になるんじゃないかなと。今回『モリのいる場所』に参加させていただいて、改めてそう感じました」

『モリのいる場所』
シネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋、イオンシネマほか全国にて公開中
(C)2018「モリのいる場所」製作委員会

クラシカルな楽器をちょっと変わったふうに鳴らす

音楽家と映画の関わり方には、いろいろなパターンがある。職人的な作家の場合、シナリオ段階で「このシーンにはこういう音楽がほしい」というリストをもとに作曲。映像と合わせる作業は別スタッフが担当するというケースも多い。一方で牛尾さんは「できればチームの一員として、コンセプトワークから参加させてもらいたいタイプ」。今回もクランクイン前に監督と打ち合わせを重ね、その世界観や皮膚感覚を自分の中に落とし込む作業から始めたそうだ。

『モリのいる場所』
シネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋、イオンシネマほか全国にて公開中
(C)2018「モリのいる場所」製作委員会

「撮影がスタートする前に、全体のトーンや方向性を象徴するようなデモ音源を1曲、試しに作ってみました。イメージの元になったのはやはり、脚本から浮かんでくるモリの人となりです。好奇心が旺盛で、創意工夫が大好き。映画にも少し写っていますが、絵だけではなく日常ではチェロも弾かれたそうなんですね」

ただ、チェロの生音をそのままサンプリングして使っただけでは、モリらしさが十分に出ない。そこで牛尾さんが考えたのは、チェロのボディをパーカッション替わりに叩いたり弦を引っ掻いたりして、通常とは違う音を出してみることだった。

「ちょっと現代音楽の手法にも似ていますね。クラシカルな楽器をわざと変に使うことで、モリらしい自然体の可笑しさが滲んでくれればいいなと。他にも、針飛びしたアナログ盤みたいに音を細かく遅延させたり、遊びの要素もいろいろ重ねて……。そうやって作ったデモを監督が気に入ってくださったので、後は基本、同じコンセプトを敷衍して作っていきました」

ちなみに最初に作ったこの“デモ”は最終的には本編のラスト──モリが住む家と庭を俯瞰で捉えた美しいショットで使われている。サウンドトラックCDの収録タイトルはそのものずばり、「モリのいる場所」だ。

寝転がった姿勢からモリの庭を見渡して…

スケジュールの都合で1日だけだが、現場にも足を運んだ。時間がゆったり流れる日本家屋、鬱蒼と茂った庭──。美術監督・安宅紀史が作り込んだロケセットに実際に身を置いてみることで、「モリのすごしていた日常を、より身近に感じられるようになった」と牛尾さん。

「映画の中のモリみたいに、切り株の横に寝転がったりしました。それを見た沖田監督がどこからともなく現れて、僕の横にバタンと横になったり(笑)。そうやって低い視点から見ると、庭の印象もずいぶん違ってくるんですよ。あとは俳優やスタッフの皆さんが出払った隙を見て、夕暮れの居間に1人ボーッと佇んでみたり……。そこで感じた何とも言えないもの悲しさも、例えば後でメロディーを考える際に、叙情的な部分でかなり影響していると思います」

『モリのいる場所』
シネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋、イオンシネマほか全国にて公開中
(C)2018「モリのいる場所」製作委員会

撮影現場で牛尾さんが見た沖田監督の印象は、「にこやかに何も譲らない人」だ。いつも穏やかで、声を荒げることもない。でもその一方では、必要な映像が撮れるまで決して妥協しない強さも秘めている、と。

「山﨑努さん演じるモリは毎日、庭の草木や小さな動物たちを観察する。でも当然、その映像を撮る際に、蝶やトカゲや蟻がつねに監督の思い通り動いてくれるとは限らないわけですよね。僕が見学させていただいた日も、短いカットを撮るために何時間もずっと粘っておられて……。夏の盛りにすごい現場だと心から思いました。ちなみに『にこやかに譲らない』という性格は、音楽についても言えると思います(笑)」

小さな生き物たちの営みと、モリの歩くリズム

モリは毎朝、下駄を履いて帽子をかぶり、洗濯物を干す妻に「では、いってきます」と声を掛けて庭へ出ていく。映画の導入部、小さな生き物たちの映像に合わせて「今日は池まで」という可愛らしい曲が流れるシークエンスは、本作の見どころの1つだろう。

「この曲ではベーシックな物差しとして、モリの歩くテンポを考えてみました。2本の杖をついた緩やかな足取りを、まずマリンバの温かい変拍子で表現して。その周りにさまざまな旋律を、少しずつメタモルフォーゼ(変容)させながら配置していった。そういうパースペクティブを作ることで、モリが30年間暮らした庭の、小宇宙にも似た広がりを出したかったんです」

『モリのいる場所』
シネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋、イオンシネマほか全国にて公開中
(C)2018「モリのいる場所」製作委員会

風にそよぐ木々。花にむらがるクマンバチ。鳥、金魚、猫、カマキリ──。そんな映像と絶妙にマッチした音楽は、ユーモラスでどこか懐かしく、それでいて上品な躍動感に溢れている。

「作業にあたっては、音と絵をシンクロさせすぎないことも重要でした。たとえば枝の上を歩くコガネムシが糞をする映像があると、そこに音を当てたくなる。でも、やりすぎると逆効果というか……作り手の意図が出すぎて、モリが見ていた小さくて豊かな世界とは違ってくるのかなと。そういうときは大抵、監督から『ここは少し外しましょう』と注文が入るんですが(笑)。いずれにせよ、仰々しいメロディーや押しつけがましいアレンジは極力排して、いかに自然体のモリに近付けるか。今回のお仕事では、監督と一緒に、ずっとそのことだけを意識していたような気がします」

『モリのいる場所』の音楽を担当した電子音楽家・牛尾憲輔氏

牛尾憲輔「モリのいる場所」オリジナル・サウンドトラック
iTunes Music Storeほかにて配信販売中