文=圷 滋夫(あくつ しげお)/Avanti Press

今年の4月4日、京都の舞鶴市で行われた大相撲巡業で、土俵上で倒れた市長の救命処置をしていた女性に対し、行司が「女性は土俵から降りてください」というアナウンスを入れた。それに対する違和感がSNSで伝わり、ワイドショーでも取り上げられると、波紋は大きく広がっていった。日本相撲協会は“土俵は女人禁制”という伝統を考慮しての措置としていたが、問題が重大化した後に謝罪のコメントを発表している。

かつて女相撲が人気を博していた時代があった

この事件に限らず、最近何かと“日本の伝統”が取りざたされることが多いように思うが、伝統を強調することによって何らかの主張を通そうとするやり方には、どこか胡散臭さを感じてしまう。このような主義主張とセットにされた伝統は、実は明治以降に作られた“都合のいい伝統”だということもよくあるからだ。

『菊とギロチン』
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開
(c)「菊とギロチン」合同製作舎

いずれにしても日本相撲協会が「女人禁制」だとする相撲とは別に、女子相撲はアマチュア・スポーツとして国際的にも認められて世界に広がり、テレビの人気番組「情熱大陸」でも注目の女子選手が取り上げられたりもしている。そしてもう一つ、かつては女同士による興行としての女相撲も存在し、大きな人気を博していたことは紛れもない歴史の真実で、本作『菊とギロチン』を観ればその生の迫力が伝わってくるはずだ。ちなみに舞鶴市は、奇しくも本作のロケ地の一つになっている。

日本を不寛容さが覆い始めた大正末期の若者群像

1923年9月1日、関東大震災に襲われた大正末期の日本が舞台だ。社会が混沌として、軍部の暴走や経済の閉塞感が深刻化。日本全体を不寛容な空気が覆い始め、世の中がどんどん生きにくく変わって行った。そんな時代相の中で、さまざまな過去を背負った女相撲一座の力士たちと、社会に不満を抱えたアナキスト集団「ギロチン社」の青年たちが運命的に出会う。若者たちは「自由に生きたい」という思いで心を通わせ、「世界に風穴を開ける」という夢を抱いて青春を燃やすが、やがて時代の逆風に追い詰められていく。

『菊とギロチン』
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開
(c)「菊とギロチン」合同製作舎

本作は監督の瀬々敬久がまだ助監督時代の80年代中頃、実在の詩人にして社会運動家の中濱鐡(中浜哲)が詠んだ句、「菊一輪 ギロチンの上に微笑みし 黒き香りを 遥かに偲ぶ」を知ったことから発想された。当初は、1922年に政治結社「ギロチン社」を結成した中濱たちの物語を考えていたが話は進まなかった。しかし、後に読んだ女子プロレスの本にたまたま出てきた女相撲を知り、半ば強引に合体させることで企画が動き出したという。そして遂に今年、30年来の念願を実現させたのだ。

インディー作品から大作まで幅広く活躍する瀬々監督の集大成

瀬々監督はピンク映画からキャリアを始め、今では人気俳優が主役を務める商業作品を数多く手がける一方、4時間半を超えるインディペンデント作品『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)がベルリン国際映画祭で受賞を果たすなど、高い評価を得ている。最近では商業作品でもオールスター俳優による社会派ミステリー『64 ロクヨン』(前編/後編、2016年) や、酒鬼薔薇事件をモチーフにしたサスペンス『友罪』(2018年)など骨太な作品も多く、テレビドキュメンタリーも含め、いよいよ多彩な作品を量産している。

ヒロインの女力士・花菊を演じた木竜麻生
『菊とギロチン』
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開
(c)「菊とギロチン」合同製作舎

主演はメジャーからインディー作品まで幅広く活躍し、名実ともに若手俳優のトップを走る東出昌大と、まだフレッシュな新人、木竜麻生(昨年の主演作「デリバリーお姉さんNEO」は人気劇団ロロの三浦直之とヨーロッパ企画の大歳倫弘が脚本を書いた連続ドラマの傑作)だ。そこに佐藤浩市の息子の寛 一 郎や、韓英恵、渋川清彦、菅田俊、川瀬陽太、宇野祥平、山田真歩など、今の日本映画界を支える実力俳優が集結。ナレーションはインディー映画の“アニキ分”的存在、永瀬正敏が担当している。

アナキスト集団を率いる中濱鐡役には東出昌大
『菊とギロチン』
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開
(c)「菊とギロチン」合同製作舎

またそこでは、猥雑なエロスと一筋縄ではいかない娯楽性、そして現代社会に投げかけられた鋭く過激な批評性が渾然一体となり、清濁を呑み込んで、マグマのようなとてつもないエネルギーを放っている。そう考えるとこの3時間を超えるとんでもない怪作は、瀬々敬久監督の集大成とも言えるだろう。

『菊とギロチン』のタイトルに隠された過激さ

まず強烈なインパクトのタイトルについて。菊は女相撲の世界に飛び込むヒロイン花菊(木竜麻生)のこと。ギロチンはギロチン社のことであり、その象徴である中濱鐡(東出昌大)自身のことでもあるだろう。つまり“花菊と中濱の物語”という意味で、本作の出発点にもなった前述の句からイメージすることも出来る。

中濱の盟友・古田大次郎役には寛 一 郎
『菊とギロチン』
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開
(c)「菊とギロチン」合同製作舎

しかしギロチン社が昭和天皇の打倒を示唆していたことを考えると、この句が中濱の盟友である古田大次郎(寛 一 郎)の処刑の際に弔電として送られたものとは言え、“ギロチンの上の菊”は天皇家の菊の御紋のことで“遥かに偲ぶ黒き香り”は天皇の戦争責任のこと、という(あくまでも筆者個人の)深読みも可能なほどの、過激さを併せ持っているのではないだろうか。

歴史の中に、現代日本が抱えた問題を鋭く射抜く

女が女だというだけで理不尽な困難を強いられる時代に、ただ強くなることで「今まで諦めていたことを諦めずに済む」勝負の世界に身を投じた女力士たち。彼女らは力自慢以外にも元遊女、夫の暴力や貧乏から逃げて来た女など、皆が様々な事情を抱えていた。

朝鮮生まれの女力士・十勝川役には韓英恵
『菊とギロチン』
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開
(c)「菊とギロチン」合同製作舎

中でも朝鮮生まれの十勝川(韓英恵)が語る、震災直後に目撃した朝鮮人に対する迫害と、自身に対する拷問は強烈だ。そして女相撲を監視していた在郷軍人は、沖縄出身の女力士を「琉球へ帰れ」と揶揄するが、これらの苦難はあの時代の彼女たちに限ったことなのだろうか? 今の社会を考えると女性の権利はどうだろうか? 貧困は? 在日韓国朝鮮人へのヘイト行動は? そして沖縄の問題は? すべて今の日本が抱える問題と重なるはずだ。冒頭の関東大震災は東日本大震災であり、映画はそのまま今の日本を描いてもいる。

いつの時代も変わらない「自由に生きたい」という熱き思い

世の中に対するアンチテーゼが全編にみなぎる中で、若者たちは純粋な夢を語り合う。「自分の力で自由に生きたい」。「格差のない平等な社会」。「差別のない世界」。そして不器用に愛を求め合う。そんな若者たちの思いが一つになる印象的な場面がある。

真っ青な海と空が広がる砂浜で、皆が音楽を奏で、歌い、踊り、屈託のない笑顔を見せる。奏でる楽器は和太鼓や三味線などの鳴り物と、当時まだ日本にあるはずのないアフリカの打楽器ジャンベで、踊りもアフリカン・ダンスと阿波踊りが混ざったような自由気ままで不思議な動きだ。そこで中濱は自分が夢見る理想郷について語るのだが、この理想郷は瀬々監督の夢でもあるのかもしれない。だからこそ監督はこの場面を、国も時代も関係のない白日夢のように描いているのではないだろうか。

『菊とギロチン』
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開
(c)「菊とギロチン」合同製作舎

最後に、本作の制作費の一部はクラウドファンディングによって集められている。スポンサーの意向やコンプライアンスを気にしすぎて萎縮している最近のテレビや邦画界とは正反対の、思い切りのいい表現は痛快ですらある。それ程、制作者の熱い思いがスクリーンからほとばしり出る、入魂の青春群像劇だ。