今年、春の大相撲春巡業の際、土俵の上で挨拶していた市長が突然倒れ、救命処置のために土俵に駆け上がった女性に対し、「土俵から下りて」といったアナウンスが起きた問題は記憶に新しいところだ。

もっとも、心ある映画ファンの中には、この「伝統か?人命か?」といった騒動を目の当たりにして「一体何を言っているの?」と、ただただ呆れ返る他なかった方も大勢いらっしゃったことと思う。

なぜなら、このとき既に瀬々敬久監督が、女相撲を題材にした映画『菊とギロチン』(7月7日公開)を制作していることを知っていたからだ。

かつて、確かに女相撲の興行は行われていた。

(そもそも本当に土俵の上に上がれるのは男女を問わず、力士という“神に選ばれた者”のみという説もあり、これに倣えば政治家などの“一般人”が土俵上で挨拶すること自体もっての外ということにもなる)

そして、この『菊とギロチン』は大正時代末期に実在した女相撲興行を背景に、もし彼女たちがアナキスト・グループ「ギロチン社」の面々と出会っていたら? という設定の下に繰り広げられる、堂々3時間を超えるアナーキー青春群像劇映画なのだ!

(c)2018 「菊とギロチン」合同製作舎

名匠・瀬々敬久監督30年越しの宿願の企画、ついに成る!

(c)2018 「菊とギロチン」合同製作舎

時は関東大震災直後の日本。混沌とし、人々が不寛容になっていく情勢の中、女相撲の興行が全国各地でうたれていた。

当時の女相撲は奇抜な見世物として捉えられがちで、また女同士の格闘からもたらされる“ポロリ”といった要因などから知識人などに疎まれることもあったようだ。(このあたり、今年のヒット洋画『グレイテスト・ショーマン』とも相通じるところがある)

今でいうヘイトの対象にもなりかねない、差別される哀しき存在。しかしながら、さまざまな過去を背負いつつ、自由を求めてこの世界に飛び込んできた力士たちは、それゆえに強くなりたいとも願ってもいる。

そんな彼女らが、ふとしたことから「ギロチン社」の若者たちと出会い、ともに旅を続けることになる。

(c)2018 「菊とギロチン」合同製作舎

もっともこのアナキスト集団、「社会を変えたい! 弱者も生きられる世の中にしたい!」と、夢だけは大きいのだが、時代と微妙にズれているというか、どこか遅れてきた集団といった面も否めないのがミソ。

つまりこの作品、閉塞的な世相の中で虐げられながらも自由を求める弱者=女力士たちの“強さ”と、理想を追い求めるがゆえに過激な行動に出てしまうアナキスト集団=若者の“暴走”を交錯させながら、いつしか現代日本社会が抱える諸問題とも対峙しつつ、檄を飛ばし得た社会派エンタテインメント大作として屹立しているのである。

本作の監督・瀬々敬久は、ここ最近だけとっても『64-ロクヨン-前編/後編』(2016年)、『最低。』、『8年越しの花嫁 奇跡の実話』(ともに2017年)、『友罪』(2018年)など多彩なジャンルの作品を手掛けつつ、一貫して弱者の視点から社会を見据えた傑作や秀作、問題作を世に放ってきた名匠である。

その瀬々監督が、世界的な評価を得た堂々4時間38分におよぶ魂の超大作『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)に続き、構想30年を経て完成させた宿願の企画、それが『菊とギロチン』なのであった。

およそ100年の時を越えて訴えられる、女と男の魂の彷徨と咆哮

(c)2018 「菊とギロチン」合同製作舎

ここにはさまざまな女と男が登場する。まず女力士側でドラマの主軸となるのは、貧困と夫の暴力に耐えかねて家を飛び出し、女相撲の一座に加わった花菊(木竜麻生)。

加えて、自由恋愛を主張する小桜(山田真歩)や、アイドル的存在の若錦(仁科あい)、沖縄出身の與邦国(幡田美保)など、一度見たら忘れられないほど個性豊かな女性たちが、それぞれ画面の中で光り輝いている。

中でも、元遊女で朝鮮を故郷に持つ十勝川を演じた韓英恵は、『霊的ボリシェヴィキ』、『大和(カリフォルニア)』に続き、「今年の日本映画の顔」と呼ぶにふさわしいほどの存在感を発露させている。

一座の親方役で出演の渋川清彦も、今年『神と人の間』、『榎田貿易堂』(ともに主演)、『ルームロンダリング』など出演作が目白押しだが、一見不愛想ながらも実は情に厚い男の無骨さを巧みに体現している。

(c)2018 「菊とギロチン」合同製作舎

対するギロチン団だが、奔放な性格のリーダー中濱鐵(東出昌大)と、ストイックながらも花菊に惹かれていく古田大次郎(寛 一 郎)を中心に描かれていく。

東出昌大は、これまで見たことのない彼の熱く荒々しい(それでいて、どこか抜けてもいる?)姿が拝めるといっても過言ではない、新境地開拓的な快演。 

寛 一 郎はこれが実質的な俳優デビュー作とのことで、作品と役を通してどんどん役者として開眼していくさまが、まるでドキュメンタリーのように伝わってくる。

(c)2018 「菊とギロチン」合同製作舎

こうしたキャストの魅力を大いに引き立てながら見る者の意識を大正末期にタイムスリップさせる撮影・鍋島淳裕の映像美や、民俗色豊かな安川午郎の音楽など、スタッフ・ワークの素晴らしさ!

 さらには日本映画界にこの人ありと謳われる題字の名手・赤松陽構造による、力強い“菊とギロチン”の題字の、劇中での用い方にも着目していただきたい(あっと驚く仕掛けが用意されている!)。

大正末期の女と男たちの魂の彷徨と咆哮は、およそ100年の時を越えて、どこかしらきな臭くなって久しい日本社会の中に埋没されがちな、現代人になにがしかの啓蒙を与えるとともに、今一度「生きていく上での自由とは何か?」を自問自答させてくれることだろう。

優れたエンタテインメントは、常に人の心を啓蒙させてくれる。

その意味でも『菊とギロチン』は、優れたエンタテインメントとして本年度必見の1本である。

『菊とギロチン』
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開
(c)2018 「菊とギロチン」合同製作舎

(文・増當竜也)