【町田雪のLA発★ハリウッド試写通信 ♯06】
「LA発★ハリウッド試写通信」では、ロサンゼルス在住のライターが、最新映画の見どころやハリウッド事情など、LAならではの様々な情報をお届けします。
 

6月上旬、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(2017年)でローズ役を演じたアジア系女優、ケリー・マリー・トランがインスタグラムの全投稿を削除したことが、米国を中心に衝撃をもたらした。

本人はインスタ削除の理由を明かしてはいないが、2017年12月の同作公開直後から、キャスティングや演技、役そのものに対する批判、さらには、彼女の人種や性別、容姿、プライベートに関する中傷が相次いだことが原因と見られている。ネット時代の今、トランやハリウッドに限ったことではない「批評と中傷の境界線」はどこにあるのか?

SNSから去っていく俳優たち

トランのほかにも、『スター・ウォーズ』シリーズでは2016年に、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(2016年)で主人公のレイ役を演じたデイジー・リドリーが、同年、自身のインスタグラムをクローズ。銃暴力に反対する姿勢を見せたところ、「映画では銃を放っているくせに偽善者だ」という趣旨の非難を受けたことが原因とされ、「ソーシャルメディアが自分の精神衛生上、よくないと判断した」とコメントしている。

同年にはまた、女性キャストでのリブート版『ゴーストバスターズ』(2016年)のアフリカ系女優レスリー・ジョーンズが、人種差別的中傷を浴びて、ツイッターをストップ(応援の声を受け2日後に再開)。「作品を嫌うことは構わないけれど、この悪意は耐えられない」と吐露した。

2017年末には、『君の名前で僕を呼んで』が讃美された俳優アーミー・ハマーが、「白人富裕層だからこそ、失敗作の連続でもいい役をもらうことができた」という批評記事に反発したうえで、ツイッターを去っている(2018年1月に再開)。

「言論の自由」は「何を言ってもいい」ことなのか?

それぞれのケースで投稿の内容、SNSアカウント削除の理由、発言者が匿名か否かなど状況が異なるため、ひとくくりにすることはできない。

映画や俳優だけでなく、すべての作品や商品、サービス、発言などにおいて、批評や批判はつきものであり、ファンや消費者にはそれらをする権利がある。権利どころか、そうした人々がいてくれるからこそ、作品や商品が世に羽ばたけるわけで、ある意味で共同制作者といえるぐらい大切な存在だろう。酷に見える意見やバズでも、有名税、言論の自由の範囲と判断されることも多い。

批評と中傷の境界線とは

では、批評(や意見や感想)と中傷の境界線はどこにあるのか? ひとつの指標は、「人種や性別、外見、家庭環境など、生まれつきのものや自分では変えられないもの」ではないだろうか?

キャスティングに反対だからと、俳優の外見や人種を笑うこと、面と向かっては絶対にやらない侮辱をすることは、もう批評の域を超えている。米国には以前から、中傷のギリギリ・ラインの要素を毒舌トークや皮肉コントに織り交ぜるコメディアンが多いが、最近は、そうした発言が差別的と断罪され、即キャリアを失うケースが続出している。

一般企業においても、つい先日(6月22日)、ネットフリックス社が黒人差別用語を発したベテラン重役を解雇した。

匿名だからこそ意識したいこと

ネット上で身分を明かさずに行う匿名発言は、自身も批判の対象となるリスクと責任を覚悟のうえで行う発言よりも、境界線の自己診断が必要なものだろう。

筆者にも、思い入れのある漫画がアニメ化されたときに、その声優キャスティングに激しく落胆した経験がある。それでも、その落胆と声優のひととなりは、まったく関係のないこと。

アジア人俳優が役を得ることが至難であるハリウッドにおいて、やっとチャンスを得た1人であるトランが、演技やキャリアとは関係のないところで、ここまで追い詰められなければならなかったことはやるせない。批評と中傷の境界線における万国共通の答えはないのかもしれないが、投稿の先に“生身の人”がいることは忘れないでいたい。

(Avanti Press)