文=佐藤結/Avanti Press

こんなふうにのんびり、ゆったり、向かい合っていけばいいのか。

5年ほど前、ある仕事がきっかけでドキュメンタリー映画『毎日がアルツハイマー』(2012年)と出会った時、ほっと肩の力が抜けたことを思い出す。

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』
ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほかにて公開中
(C)2018 NY GALS FILMS

『毎日がアルツハイマー』シリーズは、2010年にアルツハイマー型認知症と診断された、ある女性と、彼女の娘との日常をとらえたドキュメンタリー映画。ユニークなのは、関口祐加監督自身がその“娘”であるところだ。

認知症の症状があらわれた母・ひろこさんと暮らすため、29年間住んでいたオーストラリアから帰国して以降、カメラを回し続けている関口監督が、家族だからこそ作ることのできた“赤裸々”で、笑いにあふれた作品を手がかりに、いまや「65歳以上の高齢者の7人に1人が患者」と言われる“ありふれた病”である認知症、さらにはその後に必ずやってくる死ついて考えていきたい。

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』
ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほかにて公開中
(C)2018 NY GALS FILMS

認知症介護に重要なこと《その1》

思わず、「家族だからこそ」と書き始めてしまったが、実は、この映画、通常、家族の間ではなかなか持ちにくい“距離感”があったからこそ成立しているという側面もある(監督は自分がカメラを向ける被写体を客観的に見なければならないので)。そして、その“距離感は「家族をケア(介護)する」という時にも不可欠なもの”だと関口監督は語る。

「家族は普通、距離が近すぎますね。しかも、相手に対して『こうあってほしい』という思いが強い。私はもともと母が苦手だったので、そういう思いは一切ありません(笑)。例えば、母が『大好きだよ~』と言った翌日に、私のことをすっかり忘れていても、『すばらしいオチだ』と大爆笑するわけです。でも、“家族”として入れ込んでしまうと、『私のことを忘れて……』と嘆きたくなる。“私”のことになってしまっているんですね」

つまり、「当たり前だ」と思っていた相手との関係を、とらえ直せるかどうかがカギになってくる。

認知症介護に重要なこと《その2》

「でも、ケアという視点で考えれば、あくまでも主役は“母”。母が混乱して不安に思ってしまうことの方が、私の心の痛みよりもずっと重要なんです。そこが乗り越えられないのであれば、プロに任せることが必要です。ただ、そんなふうに思ってしまう人は『自分ができない』ことをさらけ出すことが難しいので、つい自分がやろうとしてしまう。“できないことは人に頼む”。私はすぐそうします。それは母にとっても大切だし、めぐりめぐって私にも大切なことなんですよね」

関口祐加監督 撮影:野間あきら

新たな視点でとらえた「認知症」という病

「体が老化していくのに、脳が老化しないわけがない」という視点で認知症をとらえ、ひろこさんを主人公にした映画を作り続けてきた関口監督はシリーズ第2作となる『毎日がアルツハイマー2 ~関口監督、イギリスへ行く編』(2014年)の撮影でイギリスに出かける。

そこで、認知症のケアにおいて「唯一無二だ」と信じられる「パーソン・センタード・ケア」(認知症をもつ人、一人ひとりの違いに目を向け、その人の視点や立場に立って、理解しながら行うケア)という概念と出合い、日々の介護でも実践するようになる。

一番大事なのは、医師の意見や介護者の都合ではなく、介護を受ける本人の心の平穏。私が映画を観て最初に感じた「のんびり、ゆったり」の秘密は、この考え方にあったのかと、納得した。

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』
ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほかにて公開中
(C)2018 NY GALS FILMS

しかし、一方で、「パーソン・センタード・ケア」は、介護する側に絶え間ないコミュニケーションと柔軟な対応力を要求する方法でもある。

ひろこさんについては関口監督が司令塔となって医師や介護スタッフ、介護施設と連携しながらケアを行っていたのだが、自身が股関節の手術を受けるという緊急事態発生。そして、その経験から、「介護側も老いていく。そして、介護の先には必ず死がある」ことを“発見”し、シリーズ第3作となる本作『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』が誕生した。

死に方という“新しい文化”について

入院先の病院で、悪性腫瘍で闘病中の山田トシ子さんと親交を深めた関口監督は、彼女を見舞うため緩和ケア病院を訪ねたことをきっかけに「緩和ケアを受け、眠るように亡くなる」ということの意味について考え始める。

そして、イギリスやスイスの医師たちから、患者自身の意思に基づいて医師の助けを得ながら行う「自死幇助」や、終末期の患者の苦痛緩和のため、薬物投与によって人工的に意識を低下させる「ターミナル・セデーション(終末期鎮静)」といった「新しい死に方の文化」について学んでいく。

『毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。』
7月14日(土)より
ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか
全国順次ロードショー
(C)2018 NY GALS FILMS

そんな最新作の公開を控え、「死は国境を越え、文化を超え、言語を越え、世界一のお金持ちにも、ホームレスにも全員に訪れるもの。いい死に方を望むならば、死を語っていかないとダメ」と話す関口監督。その言葉からは、映画というオープンな空間を使って明るく、率直に「介護」について意見を交わすきっかけを作り出してきた前作とも共通する、風通しのよさを感じた。

あなたが、そして、私が「一番、心地よい」と感じることのできるケア、さらに、それに続く死に方とはどんなものか。この映画を観た後で、ぜひ、身近な人と語り合ってみてほしい。