正体不明のアーティスト、バンクシーがパレスチナの壁に描いた「ロバと兵士」。これが切り出されてオークションに出品されたことに端を発し、アートの意義や価値について問いかけるのが、8月4日より公開となる『バンクシーを盗んだ男』だ。ナレーションはイギー・ポップが務め、パンクのゴッドファーザーによる低音ボイスは、作品が醸し出す猥雑さやエッジ感をより印象深いものにしている。

アートが持つメッセージ性を体現するバンクシー

バンクシーは、ロンドンを中心にゲリラ的に、世界中で政治的なメッセージのこもったグラフィティアートを描き、さらには大英博物館に自身の作品を無許可で展示するなど、芸術テロリストなどとも評される覆面アーティストだ。彼の作品は商業的な価値も高く、オークションでは数千万円以上の価値で落札されることもしばしばある。

そんな彼が、イスラエルとの分断目的でパレスチナ・ベツレヘム地区に作られた全長450キロメートルの壁に描いたひとつが、「ロバと兵士」だ。バンクシーがこの壁に複数のアートを描いたことで、その作品観たさに世界中から観光客が集まり、ひいては中東の火種と呼ばれるこの地域に対する関心も高まった。

しかし、「ロバと兵士」は、パレスチナ人をロバに例えて描いたことで現地の人々からひんしゅくを買う。さらに、地元の有力者によって“商業的”な価値を見込まれ、壁から切り出されてインターネットのオークションサイトに出品されてしまう。バンクシーが壁をキャンバスにしたことで込めた「パレスチナ問題」に対する思いとも、切り離されて。

そのことをきっかけとし、本作ではアーティストや評論家、美術品のバイヤーなどが意見を述べている。結局、バンクシーを盗んだのは誰か? ひいては、アートの価値や意義について改めて問いかける映画だ。

(C) MARCO PROSERPIO 2018

パンクで繋がるバンクシーとイギー

バンクシーは現在も、ポリティカルな活動を続け、マイクロソフトやソニー、さらにはデイヴィッド・ボウイからの仕事も断っている。彼の行動には、パンクな反権威主義、DIY主義(自分でやるという草の根的な運動の考え)、直接行動、反産業、ニヒリズムといった精神が見て取れる。それだけにこの映画のナレーションにキャリア50年を超えるイギー・ポップが起用されているのは、ロックとアートとジャンルは違えど、カウンターカルチャーとしての連続性を感じずにはいられない。

イギーは、ザ・ストゥージズで1969年にデビューして以降、荒々しい野生的なサウンドと、時にナイフで体を切り刻んだり、裸でガラス破片の上を転げ回ったりといった過激なパフォーマンスで70年代後半のパンク・ムーヴメントの下地を作った。

生き急ぐようなロック・ライフの反動から、70年代には心身ともに危うい状況に追い込まれたこともある。だが、その窮地を救い、一緒にアルバムを作ることで立ち直るきっかけを作ったのが、デイヴィッド・ボウイだったことは有名な話だ。

スキャンダラスなイギーの言動の奥にあるのは、既存の価値観に対する是非であり、誰にも縛られない自我の発露だ。70歳を超えた現在も、感情のままにステージ上を暴れまわり(さすがに往年のような自傷的なパフォーマンスはないが)、7月27日には『トレインスポッティング』のサントラに参加したテクノ界の第一人者、アンダーワールドとの共演シングル「Teatime Dub Encounters」もリリースされる。

また、インタビューや記者会見では社会情勢から音楽シーン、アートについても忌憚のない意見を述べている。そういった意味では、芸術の意義や価値に始まり、現在のカウンターカルチャーの一端にまでに言及する映画に、彼のナレーションは適任だ。

(C) MARCO PROSERPIO 2018

結局、誰がバンクシーを盗んだのか?

『バンクシーを盗んだ男』の中で、イギーの声は要所で効果的にインサートされる。酸いも甘いも嚙み分けての言葉には人を惹きつける不思議な力があり、その一方で抑揚を効かせながらもあくまでもストーリーテラーに徹している。

イギーの語りとともに、今作は、観る者へアートについてさまざまな問いかけを投げてくる。

例えば、そもそもストリート・グラフィックである「ロバと兵士」が、紛争の最前線から切り取られての芸術的な価値は? それ以前に、ストリート・グラフィックをそのままにしておけば風化する運命にあり、せっかくの芸術作品は保護されるべきだ。ならば、落書きに過ぎないかもしれない絵に芸術的なお墨付きをつける権限が誰にあるのか。そして、作品に値段をつけて売買することの芸術的な側面からの意味は? それぞれの立場の、人間の想いや言葉が登場する。

その中には「壁に絵を描いて偽善者ぶってやがる」といった現地のタクシー運転手の意見もあり、紛争とともに日常を生きる人々の暮らしが映し出される。そして雑然とした街並みに乗るイギーのホラーチックな語りがまた、パレスチナの不穏な空気をより強く印象づける。

バンクシーが絵を通していくらメッセージを発信したところで、紛争自体をやめさせることはほぼ不可能だ。アートが及ぼすことのできる影響の限界を、再認識せざるをえない場面でもある。

(C) MARCO PROSERPIO 2018

『バンクシーを盗んだ男』は、アートの意義や価値について問いかけるとともに、イギー・ポップをナレーターにすることでパンク/カウンターカルチャー精神の連続性、さらには全てがビジネス化する中での是非についても言及する作品になっている。もちろんこの映画にバンクシー自身は登場しない。だが、今作が有名な映画祭で何かしらの賞を授賞したとして、その会場にバンクシーがこの映画についての作品を勝手に展示したとしたら、それはそれで彼らしくて面白いのだが。

(文/兒玉常利@アドバンスワークス)