アニメーションは日本が世界に誇る文化である。ただ、他国のアニメーションから学べることも、きっとあるだろう。ここで紹介する『詩季織々』(8月4日より公開)と『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』(8月18日より公開)の異色さは、アニメというメディアがこれからさらなる進化を遂げるであろうことを感じさせるインスピレーションに満ちている。

新海誠チルドレンとしての中国人監督たち

まず、『詩季織々』は3話から成るオムニバスの日本映画だが、そのうち2編は中国人監督によるものであり、全編が中国を舞台にしている。

そもそも本作は中国のアニメ界をリードするリ・ハオリン監督が、日本のコミックス・ウェーブ・フィルムにラブコールを送り続けてついに実現したコラボレーション・フィルムなのである。

コミックス・ウェーブ・フィルムは、『君の名は。』(2016年)を始めとする新海誠監督作品を支える制作プロダクションだ。リ・ハリオンは10年前に新海の『秒速5センチメートル』(2007年)に衝撃を受けて以来、同社と共に作品を作りたいと願っていたのだという。

本作を観ると、既に世界には新海誠フォロワーの観客どころか、新海誠チルドレンと呼ぶべきクリエイターがいて、たとえば村上春樹がそうであるように、その「文体」を普遍的なものとして憧れている人々が存在していることを感じる。

実写監督であり、俳優であるイシャオシン監督が初めてアニメを手がけた第1話「陽だまりの朝食」には、特にその色彩が濃厚だ。自身の祖母との想い出から発想された物語は、いまは北京で働く青年が故郷の湖南省で食べたビーフンの味を、祖母のぬくもりと共に思い出すという内容で、短編小説の趣が強く、きわめて主観的だ。

心に去来するエピソードを、ひとりごとのようなモノローグで紡いていく。映画の感触はまさに新海の『秒速5センチメートル』だが、そこにビーフンという中国のソウルフード的モチーフが加わることで、独自の肉体性を獲得している。身体に沁み入る余韻は、まさに旨い麺を食べたときのような満足感がある。

(C)「詩季織々」フィルムパートナーズ

第2話「小さなファッションショー」は、『秒速5センチメートル』、『星を追う子ども』(2011年)、『言の葉の庭』(2013年)、『君の名は。』といった新海作品を3DCGチーフとして支えてきた竹内良貴の、オリジナル作品としての監督デビュー作。

広州の街を歩き回りながら見出したというストーリーは、ファッションモデルの姉と衣服デザインの専門学校に通う妹との関係を見つめたもの。東京が舞台でもおかしくない物語は、けれども、中国でしか成立しない何かが宿っている。姉は妹を守ろうとし、妹は姉に憧れ続けるが、そんなリレーションシップが、姉のある挫折によって困難な局面を迎えることになる。その関係性が現代の中国の加速的に変貌を遂げる様にリンクし、不思議な感慨を呼ぶ。

第3話「上海恋」は、企画者リ・ハオリンが自ら手がけている。幼馴染への秘めたる想いを果たせなかった主人公が、想い出の品を発見したことから、気持ちが再燃していく。社会人になっても「ひきずる」そのありようは、まさに新海誠チルドレン。

だが、新海作品にはない、モノへの愛着、記憶の蘇らせ方、落ち着いた叙情に独自性がある。「陽だまりの朝食」の主人公も、「上海恋」の主人公も、共にメガネ男子という共通点にも妙味がある。

高畑勲の実験精神を受け継ぐフランス人監督

(C) Les Films Sauvages – 2016

フランス産の『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』は、タイトル通り、本当はかなり残酷な一面もあるグリム童話の一編「手なしむすめ」を、きわめて斬新な手法で紡いだもの。高畑勲監督の実験精神に大いなる影響を受けたというセバスチャン・ローデンバック監督は、76分からなる本作の作画すべてをたったひとりで手がけた。

まず、個人の固有の「絵」が活き活きと動き回る様に驚嘆させられる。筆づかいを大胆に打ち出したフォルムは虚飾を排しており、彩りはカラフルなのに、ときに水墨画のようにも映る。シンプルな力強さに満ちており、見方によっては抽象絵画の趣もある。

私たちがアニメを観るとき、無意識のなかに根付いているセオリーが、繊維ごとサクサクと崩されていく快感がある。悪魔の企みによって両手を失った少女の流転する運命は、まるで水の営みにも似た激しさと穏やかさが入れ替わり、稀有な合流を見せ、このアニメ独自のスピードによって彼方へと連れ去られていく。

悲劇のつるべ落としと呼んでいい物語のありようには、確かにグロテスクな要素もあるが、このアニメが放つオリジナリティはありきたりのカテゴライズをきっぱり拒んでおり、描かれているストーリーから完全に逸脱した稀有な「すがすがしさ」さえ、わたしたちに与えてくれる。

「アニメっぽい」という形容詞がある。キャラクターの造形も、作画も、色使いも、リズムも、タッチも、わたしたちは普段アニメを観るとき、ある特定の「らしさ」に依存した上で眺めているのではないか。そのことに気づかされる。

アニメーションとは何か。その答えは様々だろう。だが、アニメとは「動く絵」である、と考えたとき、本作が放つ自由と奔放さに、心洗われる。

(C) Les Films Sauvages – 2016

片や新海誠。片や高畑勲。日本のスター・アニメ監督からインスパイアされた2作品だが、いま、アニメは国籍を問わず、確実に次の世代に受け継がれ、多彩なかたちで枝葉を伸ばしていることが実感できる。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)