文=関口裕子/Avanti Press

細田守監督の長編第5作『未来のミライ』は、小さな庭のある小さな一軒家に住む甘えん坊の4歳児、くんちゃん一家の、過去と未来を描いた冒険物語。産まれたばかりの妹のミライちゃんに、パパとママの関心を奪われ、嫉妬気味のくんちゃんのもとに、妹を名乗る中学生のミライちゃんが“未来”からやって来る。

ほぼ家の中を舞台にしながら、時をこえることと、くんちゃんの想像力によって、大きな冒険の物語が展開していく本作。主人公くんちゃんの年齢は、前作『バケモノの子』(2015年)よりさらに下がる。冒険を味わうにあたり、その意図や演出のしかけについて、細田監督にお話いただいた。

細田守監督

4歳児の視点で描く、最小にして最大のテーマ

――今回、なぜ4歳という子どもの視点で描こうと思ったのでしょう?

僕はよく、「家族」をテーマに描いていると言われますが、実は描こうとしているのは「子ども」なんです。でも子どもを描こうすると、結局、家族を描くことになる。

発端は、『時をかける少女』です。原作は1967年に出版されたSFで、当時、その時々の問題は科学技術によって克服され、幸せな社会が訪れるものと思われていた。冷戦も、公害も、科学技術が解決する。そう信じていた時代に書かれた原作を2006年に映画化しようとした時、ふと科学技術は人間の幸せにそれほど貢献してないんじゃないかと思ってしまったんです。

では「未来」とはなにか? とある高校でロケハンしている時、階段を上る僕の横をポロシャツを着た女子高生たちが駆け降りて行きました。その時思ったんです、「未来が通り過ぎた」と。

要するに、「未来」とは、科学技術ではなく、次世代を託す人そのもの。新しいジェネレーションが未来を作るんだと思った。だから少女のバイタリティーを表現することで「未来」を描こうと思った『時をかける少女』では、主人公の性格も、ポロシャツと短いスカートという制服も、原作と変えたんです。

『未来のミライ』全国東宝系にて公開中
(C)2018 スタジオ地図

――『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)や『バケモノの子』の主人公は小学生。段々、年齢が下がってきていますね。

10歳前後って自我が明確になる年齢だと思うんです。例えば、いつ現在の思考や職業につながる意識や興味に目覚めたかと大人に聞くと、10歳前後と答える方が多い。10歳ってすごく象徴的で重要な年齢なんですね。それで、『おおかみこどもの雨と雪』や『バケモノの子』の主人公の年齢を、小学生、10歳前後に設定したわけです。

――監督も10歳の頃、現在につながる自我の目覚めはありましたか?

映画、映像、アニメーションにすごく興味があって、作りたいという自覚が芽生えた時だったと思います。小学生の頃の文集にもはっきり書いていますし(笑)。

僕が子どもを主人公に設定しているのは、単純にかわいいとか、アニメーションに向いているということではなく、人の一生を決める大事な出来事が起こり、それによって変化する年頃だから。変化のダイナミズムがある面白い年代というか。

大人は、なかなか変われません。たとえば、痩せようと思ってもつい食べ過ぎちゃうとかね(笑)。

『未来のミライ』全国東宝系にて公開中
(C)2018 スタジオ地図

――『未来のミライ』の主人公くんちゃんは4歳児。彼が過ごすのは、ほぼ家の中です。だから描かれるのは、監督の作品史上、最小ワールドとなりますが、時を前後させることで無限の世界観を見せてくれます。ミクロであってマクロ、延々と続く生命を庭の木に託して描くところでは、親子の葛藤と生命の循環を描いたテレンス・マリック監督の壮大な物語『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)を思い出しました。

4歳の子が主人公って映画史的にホント少ないんですよね、特に男の子は。一見、小さい物語を描いているように思えるかもしれませんが、それはフラクタルの一部でうまくしたらすごく大きな話になると(笑)。

なぜなら、子どもと過ごしていると、やたら自分が小さかった頃を思い出すし、親が思っていただろうことにまで考えが及ぶんです。荷台を支えて自転車の練習をさせていると、ふと乗っているのが子どもなのか、自分なのか分からなくなってくる。時空がごっちゃになるというか、もう一回子ども時代を生き直しているというか、自己相似的なループが見えてきたんです。この映画の企画書に大きく書いたのは、その部分。

誰もそんなこと教えてくれませんが、子育てをするとそんな“素敵な気持ち”になるんです。子どもと過ごすのって、人生においてものすごく重要なことなんじゃないか。改めてそう思いました。そして、そこには必ずしも血のつながりは必要ないのかもと。

細かく描かれた家や食べ物……それらが持つ意味とは?

――細田監督の映画は、町、家、部屋とその一つひとつが意味を持って描かれています。くんちゃんの家は、もともとあった家を建て替えて、真ん中に中庭を設ける形にしています。あの家はどんな意図をもって設計されたんですか?

最初の家の前庭には、木がありました。新しい家はそこが中庭になっています。家の作りとしては、庭を挟んだ向こう側に別棟を増築して、建物で庭を挟んでいる。今回は建築家の人と一緒に、空間の変化があると面白いんじゃないかと、昔あった家を新しい家に組み込み、新築の家に歴史の堆積を感じさせるように考えました。

たとえば、キャビネットのところの丸い日焼け跡は、前の家で時計が飾ってあったところ。そんなふうに過ごしてきた時間を感じさせる家にしようと。人が過ごしてきた証が、家族を表現するのではないかと、建築家の方と話し合いながら作りました。実際はそんなオーダーをするお客さんはいないそうですけど(笑)。

『未来のミライ』全国東宝系にて公開中
(C)2018 スタジオ地図

――部屋ごとに階層が異なる造りになっていますが、それもまた時を感じさせます。

映画には、画面上、高低差のダイナミズムが絶対必要なので。『時をかける少女』の舞台はなぜ坂道の町なのか? 平らな町じゃ、ああはならないんです。カンヌ映画祭でも、いったん降りた階段を、もう一回走り上がっていくのがとても映画的だと指摘されました。4歳児の生活って家の中がほぼすべて。その家にいながら映画的なダイナミズムを保証できる空間にしたかったんです。

――細田監督の映画では、食べ物は重要な要素ですね。そこで食べているものが、血となり肉となるのを感じます。今回も女の子が産まれた時のお祝いのちらし寿司と澄まし汁、トッピングたっぷりのパンケーキ、バターを挟んだたい焼きと、食べ物が印象的でした。

僕は、アニメーションには食べるシーンが必要だと思っています。実写なら見ているだけで生きていることが分かりますが、アニメーションではものを食べることで初めて生きていることを表現できるわけです。これまでも食べるシーンはたくさん作りました。『バケモノの子』では卵かけご飯、『サマーウォーズ』では田舎の大家族で食べる料理。そしてそれらの多くは「食事」でしたが、今回は「デザート」をたくさん出しました。

『未来のミライ』全国東宝系にて公開中
(C)2018 スタジオ地図

――それはなぜですか?

子どもを描くからですかね(笑)。子どもってご飯より甘いものが好きじゃないですか。うちの子なんてパンケーキとイチゴしか食べません(笑)。子どもが美味しそうと思うものであるのと、産後のお母さんへのエールを込めて、ですかね。

授乳中って食べるものに制限があるじゃないですか。脂肪分が多いものは乳腺が詰まって乳腺炎になるとか。特に、あのお母さんみたいに仕事しながら、母乳で育てている方は、ストイックに食事管理をしている人も多い。そうすると食べたくても我慢してしまうんです。一人目は特にそう。二人目になると、どのくらいなら大丈夫か分かってきて、ちょっと自由になるそうです。それで彼女はアンコのたっぷり詰まったたい焼きの間にバターを挟んで食べる(笑)。

――あれはけっこう衝撃でした。

ははは。で、それが結構美味しそうだっていう。あそこでは、甘いものを食べて癒されたいという彼女の気持ちと、二人目の子育てだということを強調しています。イチゴとハチミツをドロッと乗せたパンケーキを美味しそうに食べているのも、カラフルなゼリーケーキを食べているのもお母さん。あれ? 食べ物はみんなおかあさんがらみですね(笑)。

あのゼリーケーキは、雨の日の記憶と透明なゼリーが響き合うし、ゼリーはアニメーション表現としてもきれいだからと思ったんです。

あとはくんちゃんが迷子になるシーンに出てくるオレンジジュースとバナナ。特にバナナは、朝食の時、すごく真面目にお説教しているミライちゃんが手に持っているものです。手にバナナを持っている人の説教なんて、真面目に聞けないじゃないですか(笑)。そういう面白みを狙う一方、くんちゃんがミライちゃんと分けて食べるというエピソードにつなげる意図で登場させています。

『未来のミライ』全国東宝系にて公開中
(C)2018 スタジオ地図

人生のターニングポイントを振り返る

――細田監督ご自身の子育ては?

シナリオ開発中は、取材にかこつけて、多くの時間を子どもと過ごすことができました。でも、実際は夜9時にベッドに入って、子どもに何冊も絵本を読んであげることのできるお父さんって、なかなかいないと思います。僕も、シナリオや絵コンテを描き終えて現場に入ったら、子どもと一緒に過ごす時間は減ってしまいました。

『未来のミライ』全国東宝系にて公開中
(C)2018 スタジオ地図

――最後に、そんな細田監督がアニメーションを作るにあたり、影響を受けた監督、または作品をお答えいただけますか?

その時おりで変わることもありますが、このお三方でしょうか。

まずアニメーション監督という仕事に憧れたきっかけとなった宮崎駿監督。1979年に『ルパン三世 カリオストロの城』を観て、絵コンテやパンフレットを買って、「すごい! 僕もこういうふうになりたい」と思いました。

次は、ビクトル・エリセ監督。大学生の時、1988年くらいに『ミツバチのささやき』(1973年)を観て、「これが映画だ」と思った。映画ってコンセプチュアルに作れるんだって。シナリオをそのまま絵解きするのではなく、もっと表現を広げるとああいう作品になるんだと興奮しましたね。

三つ目は、アニメーションを仕事にしようと思った時、最初に衝撃を受けたディズニーの『美女と野獣』(1991年)。僕が東映動画に入った年です。東映動画の端っこで動画を描いている自分と、志の高い『美女と野獣』の落差に衝撃を受けていました。

実は、大学時代はそれほどアニメーションに熱心だったわけじゃなく、映画や古典芸術、西洋美術、現代美術のほうが面白いと思っていたんです。でも、やっぱりアニメーションだと思ったのは、『美女と野獣』を観たから。こういう作品を作れるなら、この世界にいる意味があると。まだ実現できていませんが、いつも思っています。ついでにいうと、ジャン・コクトー監督の『美女と野獣』(1946年)も大好きです。野獣の魅力的なキャラクターや、ジャン・コクトーのスケッチもすごく恰好いいですよね。

インタビューに答える細田守監督

――緻密に描かれた場面の意味を一つひとつ解釈したり、庭の木がどんどん過去、未来へと枝根を伸ばしていくシーンに身をゆだね、一つの細胞になった気分で味わったり、この映画はいろいろな楽しみ方ができますね。

人生の中の様々な局面にアクセスできるとしたら、自分はいったいどこへ行くのだろうと考えたり、思い出したりしてもらえると嬉しいです。