「仮面ライダーキバ」の決め台詞、「100年に一度の天才」からインスパイアされた「100年に一人の逸材」を自身のキャッチフレーズにしているプロレスラー、棚橋弘至。とんでもないビッグマウス発言だが、彼はその言葉に負けない確かなパフォーマンスと実績で、プロレスファンに熱狂的に愛されている。

「仮面ライダー」シリーズへのリスペクトがある棚橋は、これまで映画『仮面ライダー平成ジェネレーションズ Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー』(2016年)など、いくつかの映画、ドラマに出演しているが、その起用は基本的に格闘家としてのパブリックイメージに準じたものだった。

初主演作『パパはわるものチャンピオン』(9月21日より公開)は、棚橋が俳優としての底知れぬポテンシャルを思う存分発揮した映画だ。その力量は、レスラーとしての実力に勝るとも劣らないと断言できる。

誇示から遠く離れた抑制の美

棚橋に限らず、プロレスラーはこれまでも多くの映画に出演してきた。

たとえば力道山は屈指の映画スターだったし、武藤敬司は名匠、相米慎二に抜擢され、同監督の野心作『光る女』(1987年)の主演を飾った。アントニオ猪木は辻仁成に請われ、『ACACIA』(2010年)で元プロレスラーを演じた。

リングの上で最高のパフォーマンスを繰り広げる彼らはもともと「表現の心」を有している。強くて、カッコいいだけではレスラーにはなれない。観客の胸に「届けようとする」意志がなければいけない。

棚橋弘至はきっと、ものすごく「届けたい」意識が強いのではないだろうか。『パパはわるものチャンピオン』での堂々たる主演ぶりには、同時に、きわめて繊細な抑制の美がある。演技を誇示はしない。演じるキャラクターに観客が想いを寄せる余白を生み出している。たとえば、黙って歩くその風情だけで、わたしたちは主人公の存在を身近に感じることができるのだ。

(C)2018「パパはわるものチャンピオン」製作委員会

虚飾のない素肌だけの演技

本作は、小学生の息子に、自分の職業を隠してきた大村孝志という男の物語である。大村は、かつてエースレスラーとして活躍しながらも、膝の故障から覆面レスラーに転身。悪役としての反則技でリングを盛り上げてきた。リングネームは“ゴキブリマスク”。自虐もあるが、ヒールもまた重要な要素であるプロレスへの愛と献身が感じられるネーミングだ。

息子である祥太は、ひょんなことから、自分のパパが悪役レスラーであることを知ってしまう。しかし学校では、なんとなくの流れから、トップレスラーのドラゴンジョージの息子だという周囲の勘違いを容認してしまう。

自分の仕事に誇りと愛を持ち、ヒールとして生きてきた大村だったが、息子の悩みを知り、どうすればいいのか、何ができるのかを考え始める。それは、父親としての自分への問いだけではなく、人間としての自分への問いかけでもあった。

一途だが、他人への思いやりを常に忘れない主人公を、棚橋は美化するでも、哀愁を漂わせるでもなく、生身の男が無言のまま格闘している様として、真っ当に提示している。

棚橋弘至の芝居には虚飾がない。まるでない。まっさらである。キャラクターに味つけを施さない。「こういう人物です」と説明しない。ソースも醤油も塩も胡椒もまるでない、生(き)のままの、素肌の演技がある。

(C)2018「パパはわるものチャンピオン」製作委員会

現実の新日本プロレスのリング上でも棚橋の好敵手である、オカダ・カズチカ扮するドラゴンジョージとの一騎打ちは興奮させられる。だが、それ以上に、棚橋弘至が俳優として本気を出すとこうなるという現実に胸打たれるのだ。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)