今年1月クールの連続ドラマ「トドメの接吻」では謎のヒロインを好演し、9月から10月にかけてはNODA・MAPの舞台「贋作 桜の森の満開の下」で野田秀樹演出の下、錚々たる面々と共演する門脇麦。映画・ドラマ・舞台、いずれの世界からもその才能を求められる彼女の実力と本領を確かめるチャンスが、10月中旬にやって来る。

主演作『止められるか、俺たちを』が10月13日(土)に、出演作『ここは退屈迎えに来て』が10月19日(金)に公開されるのだ。つまり、近い日付で2本、映画女優、門脇麦の新作がお目見えする。主演として映画を牽引する一方、主演ではなくてもまるで主人公のように鮮烈な印象を残す門脇。その魅力はどこにあるのか。2作を通して考えてみたい。

ユニセックス、意志、そしてガラスのような危うさ

『止められるか、俺たちを』より(C)2018若松プロダクション

『止められるか、俺たちを』は、2012年に事故死した伝説の映画監督、若松孝二と彼が率いた若松プロダクションの面々の姿を、ひとりの若き女性スタッフの目を通して描いた作品である。

若松に扮するのは、晩年の若松作品を支えた井浦新。彼は若松作品に関わったことを契機に、名前をARATAから本名に変えるほど、若松から影響をダイレクトに受けている。これまでの出演作からは考えられないような思い切ったアプローチで、若松の気概を体現。その覚悟の据わった快演は、本作の大きな見どころのひとつだ。

だが、門脇は、そんな井浦を前にしながら、いささかも霞むことなく主役としてのオーラを発揮。揺るぎない存在感をかもし出している。

『止められるか、俺たちを』より(C)2018若松プロダクション

門脇が演じるのは、21歳の吉積めぐみ。いまでこそ、映画製作の現場に女性スタッフがいるのは珍しくない光景だが、本作の舞台は1969年。昭和40年代に、ピンク映画の現場に飛び込んだ若き乙女の孤立感は並大抵のものではなかったに違いない。

だが、若松に怒鳴られながらも、ひるむことなく過酷な現場に喰らいついていく吉積めぐみの肖像は、門脇麦にとてもしっくりくる。

第一に、門脇麦の魅力はユニセックスな出で立ちにあるからだ。身長160センチ。体躯は華奢だが、わかりやすい女性らしさが漂うタイプではない。どこか少年性を感じさせるルックスが、反権力の映画作りで躍進した製作集団のメンバーのひとりにはとてもふさわしい。

第二に、意志の強さ。門脇麦はどんなキャラクターを演じても、異性にも同性にもナメられない、鋼のような魂のありようを感じさせる。そのことがユニセックスなビジュアルと相まって、鮮烈な印象を残す。

だから、本来男社会であるはずの映画の現場にいても、仲間や同志として存在していられる。

吉積めぐみを門脇麦が演じることで、若松孝二と若松プロダクションが単に理想を追い求める牧歌的なグループではなく、偏見から自由でいることができるリアリストたちの集まりだったことがわかる。

『止められるか、俺たちを』より(C)2018若松プロダクション

だが、『止められるか、俺たちを』のヒロインは、単にボーイッシュで、逞しい内面の持ち主というだけに留まらない。どこか張り詰めていて、ほんの一瞬のはずみで、いつか、どこかが、ふいに壊れてしまうような脆さがある。紙一重、薄いガラス一枚越しの均衡、これが門脇麦の第三の魅力だ。

吉積めぐみの身に何が起きるか、ここでは触れずにおこう。

だが、それを目の当たりにしたとき、わたしたちは知るだろう。この儚さもまた、門脇麦の重要な魅力のひとつなのだと。

強気な姿からにじみ出る、報われない恋心

『ここは退屈迎えに来て』より(C)「ここは退屈迎えに来て」製作委員会

『ここは退屈迎えに来て』は、山内マリコの同名小説の映画化作品。主演は橋本愛だが、群像劇の味わいもある、凝ったテイストの物語だ。高校時代の人気者であった「椎名くん」のことをいまも忘れずにいる20代後半の女性たち、男性たちの姿が、複数の時間軸を入れ替えながら、胸に沁み入るタッチで紡がれていく。

橋本愛が演じる「私」は、一度だけ椎名くんと、彼の行きつけのゲームセンターで遊び、それを目撃した男子生徒に「椎名くんの彼女」と勘違いされたことを大切な想い出として胸に仕舞っている。

一方、門脇麦が扮する「あたし」は、椎名くんの彼女だったという自負がある人物。椎名くんと別れた後は、椎名くんの仲間だった遠藤という男の子となんとなく一緒にいる。遠藤は「あたし」に惚れているが、「あたし」にとって遠藤は椎名くんを忘れないようにする存在でしかない。

ここは退屈迎えに来て 門脇麦

『ここは退屈迎えに来て』より(C)「ここは退屈迎えに来て」製作委員会

本作において、「あたし」の回想場面は秀逸だ。椎名くんが運転する車の助手席で、互いを「追いかける」「追いかけさせる」という夢を語る「あたし」。強気の夢を、ひるむことなく話す「あたし」の一途さ、そして、大好きなひとにだけ向けた虚勢が、頼もしくもせつない。

門脇麦は、こんなふうに女心をカムフラージュするとき、そのユニセックスな面持ちが一段と映える。彼女ならではのユニセックスな佇まいが、“ギャップ萌え”を引き起こす。強気な女の子だからこそ、その本音がひょいと姿をあらわすとき、観る者は、思わず彼女を抱きしめたくなるのだ。

椎名くんを演じるのは成田凌。“決して手に入らなそう”な実在感がハンパなく、誰にとっても、こんな憧れの人がいたと思い起こさせる。「あたし」は、椎名くんが決して自分のものにならないことをどこかで察知しながら、だからこそ、強気を押し通す。けれども、押し通せば押し通すほど、報われない恋心がにじみ出る。

『ここは退屈迎えに来て』より(C)「ここは退屈迎えに来て」製作委員会

『止められるか、俺たちを』と『ここは退屈迎えに来て』は対称的な肌ざわりの作品だが、門脇麦の共感性の高い芝居が観客に親近感を抱かせる点が共通している。

(文/相田冬二@アドバンスワークス)