モラトリアムな時代の葛藤を描いたJ・D・サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』(1951年)を演劇化することで、主人公が周りとは違った特別な人間であることを証明しようする『ライ麦畑で出会ったら』(公開中)。だが、同書はどう大人になっていくかについては書かれていない。そしてこの映画は、青春小説の金字塔が何を投げかけているのかを改めて実感させる。

 大人への一歩を踏み出すきっかけを瑞々しく描く

舞台は、1969年の米ペンシルベニア。冴えないジェイミーは学校に馴染めず、孤独な高校生活を送っていた。そんな日々の中で出会ったのが『ライ麦畑でつかまえて』。彼はこの小説を演劇化することを思いつく。

しかし、同作を上演するには原作者の許可が必要であり、隠遁生活を送るサリンジャーに連絡を取ることは簡単なことではなかった。それでも諦めきれないジェイミーは、少ない手がかりを頼りに、演劇サークルで出会った女の子、ディーディーとサリンジャー探しの旅に出ることになる。

ジェイミーは、サリンジャーを守ろうとするニューハンプシャーの人々の証言に翻弄されながらも、自分で道を選択し憧れの作家にたどり着く。その過程は青春時代の自問自答ともダブり、彼はこの旅を通してディーディーと友達以上の関係となり、ひいては大人へと歩み出すヒントを掴むことにもなる。

(C)2015 COMING THROUGH THE RYE, LLC ALL RIGHTS RESERVED

「自分の物語を書け」と、サリンジャーは言う

映画は、オープニングから口語体で書かれた『ライ麦畑でつかまえて』の文体を真似るように、「これは実際の自分に起こった物語だ」とジェイミーがこちらに語りかける形で始まる。

ジェイミーは、『ライ麦畑でつかまえて』の世界と自分をダブらせることで、満たされない現実との折り合いをつけようとしている。必死にサリンジャーの居場所を見つけようとするジェイミーだが、サリンジャーはなかなか見つからず、彼は『ライ麦畑でつかまえて』の演劇化に加え、映画化、ドラマ化などさまざまなオファーを断り続けている。 

もしかすると『ライ麦畑でつかまえて』に限っては、自分はあくまでも投げかけるだけで、模範解答を作りたくないし、答えはその後の人生のために読者一人ひとりが見つけてほしいと考えていたのではないだろうか。

強い口調でいろいろな依頼を否定するサリンジャーは、『ライ麦畑でつかまえて』に対する思いを熱っぽく語るジェイミーにも「自分の物語を書け」と素っ気ない。だが、この言葉からはサリンジャー自身の『ライ麦畑でつかまえて』に対する思いが表れているともいえ、まだ答えを見つけ出せていないジェイミーに対する叱咤とも取れる。

(C)2015 COMING THROUGH THE RYE, LLC ALL RIGHTS RESERVED

後半、タイトルの意味するところが見えてくる

本作は、「自分の物語を書け」と言われて終わるわけではない。ジェイミーがサリンジャーに出会ってからがこの映画の本題だ。 

ストーリーのラストについては実際に劇場で確認してもらいたいが、今作が、ジェームズ・サドウィズ監督の実体験に基づいていることはここに記しておきたい。事実、監督自身も「映画内でサリンジャーに会いに行くまでは85%、それ以降は99%が実体験」だと語っている。

(C)2015 COMING THROUGH THE RYE, LLC ALL RIGHTS RESERVED

 青春小説の金字塔を題材に、大人になる一歩手前の多感な感情を瑞々しいロード・ムービーに仕立てたのが、この『ライ麦畑で出会ったら』だ。小説を読んだ人はもちろん、読んでいない人も、この映画を観終えた後は自分の過去、現在、そして未来を見つめ直したくなるはずだ。

(文/兒玉常利@アドバンスワークス)