イスラエルの名匠サミュエル・マオズ監督が、運命の不条理を、実体験を基にした巧みな構成で描いた衝撃のミステリー『運命は踊る』(9月29日より公開)。前作『レバノン』(2009年)に続き、ヴェネチア国際映画祭で主要賞連続受賞を果たしたことでも注目を集めている本作は、「息子の戦死」という報せに翻弄された夫婦の悲劇を、父、母、息子の視点から描いた緊張感あふれるドラマだ。

「因果応報」とも言える皮肉な結末は、「世にも奇妙な物語」のような雰囲気

「イスラエルでの公開の際に、右寄りの政治家から攻撃を受けた」という話を耳にして、「どれほど過激なのか」と身構えていたのだが、いざ蓋を開けてみて驚いた。というのも、スクリーンに映し出されたのが、とてつもなくスタイリッシュで斬新な映画だったから。「因果応報」とも言える皮肉な結末には、「世にも奇妙な物語」的なシュールさも感じられ、タモリが登場してもおかしくない雰囲気すら漂っている。

父・息子・母の名前を冠した全3幕から構成されるこの物語は、ある夫婦のもとに、息子ヨナタンの戦死の報せが届くという緊迫感溢れるシーンで幕を開ける。母親のダフナはショックのあまり気を失い、父親のミハエルは平静を装いつつも、役人の対応に苛立ちを隠せない。

そんな混乱の最中、なんと戦死したのは「同姓同名の別人」だったことが発覚する。息子が生きていたことを母は素直に喜ぶが、父は「今すぐ息子を呼び戻せ」と怒りをぶちまけるのだ。

(C)Pola Pandora - Spiro Films - A.S.A.P. Films - Knm - Arte France Cinéma – 2017

続く第2部では、息子が身を置くイスラエル北部の国境に位置する検問所の映像に切り替わる。先程の修羅場とは打って変わって、拍子抜けするほどまったりとした時間が流れていることに唖然とさせられるだろう。

ラクダがゆっくり検問所のゲートを通過したかと思えば、銃を抱えた兵士がマンボのリズムに合わせて、突如ダンスを踊り出す。そして、毎日ほんの少しずつ傾いていくコンテナの中で、年頃の青年たちが、ラジオを聴いたり、イラストを描いたり、時に談笑したりしながら思い思いに過ごす姿が、アーティスティックな映像によって綴られてゆく。

だが、そんな代わり映えのない日々に、ある夜ついに激震が走る。検問所を通過する車が落とした空き缶を手りゅう弾と間違えたヨナタンが、誤って銃を乱射してしまったからだ。

(C)Pola Pandora - Spiro Films - A.S.A.P. Films - Knm - Arte France Cinéma – 2017

不快さを強いる緊迫感と、耳馴染みのある音楽による高揚感

第3部の舞台となるのは、第1部とは明らかに異なる空気をまとったヨナタンの実家だ。一度は戦死したと思った息子は、生きていた。それで満足するべきだったのに、父が怒りに任せて呼び戻したばかりに、思わぬ悲劇が襲い掛かる。

果たして、その仕打ちこそが、どれほどあがいても変えることなどできない宿命なのか。サミュエル・マオズ監督は人間のエゴや家族の絆について、あえて多くを語らずに問いかける。

特筆すべきは、監督の映像へのこだわりだろう。観るものに不安や不快さを強いる映像と、耳馴染みのある音楽によってもたらされる高揚感の落差。そして、監督が「鳥の視点」と語る俯瞰から捉えるショットや、戦争の前線であるにもかかわらず現実味のない日々が繰り返される検問所の日常など、登場人物たちを取り巻く不条理さを、言葉ではなく様々な要素で雄弁に物語らせているのだ。

(C)Pola Pandora - Spiro Films - A.S.A.P. Films - Knm - Arte France Cinéma – 2017

遠く離れた二つの場所で交錯し、すれ違っていく3人の奇妙な運命に、冒頭から結末まで釘付けにさせられることだろう。原題は、20世紀初頭にアメリカで流行した社交ダンスのステップを意味する「フォックストロット」。いくら踊っても必ず同じ場所に戻ってきてしまうところが、運命の皮肉であると言えるのだ。

(文/渡邊玲子@アドバンスワークス)