アメリカを代表するドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンの『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』(10月20日公開)は、都市開発が続き商業主義に食い荒らされたニューヨークで、最も多様な人間性が存在する町「ジャクソンハイツ」を捉えた作品。ジャクソンハイツのあらゆる場所、あらゆる人々を映し出した本作は、インタビューやナレーションが入っていないからこそ、町との一体感を観客にもたらせてくれます。

そして、この町に生きるセクシャル・マイノリティ、不法滞在者、ボランティア、個人商店主ら市井の人々の目を通して浮き彫りになるジェントリフィケーション。それはなんなのか。筆者のニューヨーク在住経験からお話ししたいと思います。

ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ あらすじ

(C)2015 Moulins Films LLC All Rights Reserved

「オーシャンズ8」にも登場したジャクソンハイツ

ジャクソンハイツは、マンハッタン区の東に隣接したクイーンズ区の北西にあるエリア。マンハッタンまで地下鉄で30分ほどしかかからない、非常に便利な場所です。人口約13万人のうち、ヒスパニック系が57%、アジア系19.8%、白人14.3%。黒人3.5%で、167もの言語が飛び交う多様な町です。(※1)

この夏公開された『オーシャンズ8』でもミンディ・カリングが演じるアミータがジャクソンハイツ出身のインド人という設定。アミータのファミリービジネスはジュエリー工房でしたが、ジャクソンハイツは実際にインディアンジュエリーでも有名です。筆者も何度か訪れたことがありますが、お目当てはスパニッシュ料理、インド料理やインディアンジュエリーのショッピングでした。

筆者のジャクソンハイツの第一印象は、非常に鮮明。町を歩いたときに色とりどりのヴェールやサルワール・カミーズ(イスラム教徒やインド人に人気のチュニックとパンツ)が視界にパーッと入り、「うわぁ、なんてカラフルな街!」と思ったのが忘れられません。

進む“ジェントリフィケーション”

ジェントリフィケーションは、中下層地域エリアを再開発や文化的活動によって活性化し高級化することによって、富裕層が流れ込む“都市再編現象”をさします。いわゆる、都市のブランド化が引き起こす人口移動現象のこと。これは世界中、ニューヨークでもマンハッタン、クイーンズ、ブルックリン、ブロンクスを含めたすべての地域で起きています。

作中、地元のショッピングモールに入っている50ものテナントが立ち退きを迫られている話、大企業のショップが流入したら店賃が上がり、地元の店が潰れてしまうという話をするジャクソンハイツの人々が登場します。

筆者が住んでいた1990年代後半から2000年代後半のマンハッタンも、ジェントリフィケーションがどんどん進み、家賃が急騰してマンハッタンからクイーンズやブルックリンへ引越す中産階級が続出していました。小さな個人経営のデリ(デリカテッセンのこと。サンドイッチなどのお惣菜やドリンクなどを売っている店)は大手チェーン店のカフェにとってかわられ、キレイだけれど味気のない町並みへ変化していったのです。

続き2010年頃までには、イーストヴィレッジのアイコンだったライブハウス「CBGB」やパンクロックバー「マーズ バー」も閉鎖し、マンハッタンの全域が高級化しました。

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ジェントリフィケーションのシンボル、スターバックス

当時、ジェントリフィケーションのシンボルだったのが「スターバックス」。デリのコーヒーは99セントで買えるのに、4ドルもするコーヒーなんて、当初は非常識だと思われていました。

そこで、筆者の周りの若者の間では、スタバのトイレをわざと散らかすことが一時期流行ったのです。その頃、お客でもない通行人にトイレを使用させてくれるカフェなぞスタバ以外になく、そのフレンドリーなストアポリシーを利用して、トイレにトイレットペーパーを散乱させてスタバのイメージダウンを狙うというのが目的でした。結局、皆スタバの魅力にハマッて、そのような迷惑行為はすぐにやめてしまいましたが……。

英ガーディアン紙のWEB版の記事でも、スタバの近くにある不動産物件は家賃が高い傾向があると述べられているように、スタバ、アパレルショップのJ.Crew、オーガニック高級スーパーのWholeFoods、アップルストアなどが、ジェントリフィケーションのサインとして見なされているようです。(※2)

高騰するジャクソンハイツの不動産

1916年、マンハッタンに通勤する中産階級向けに、住人専用の公園がついた「ガーデン・アパートメント」が200戸建設されたことを発端に、開発されたジャクソンハイツ。最初は白人プロテスタントが多かったのですが、やがてユダヤ人も増え、1960年代後半から黒人、南米、中南米、南アジア、ゲイコミュニティも流入。1980年代にはコロンビア人が移住し、多様性豊かな地域となりました。

ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ ゲイパレード

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ニューヨークタイムズによると、1992年に19,000ドル(約216万円/1ドル≒113円)で買った1ベッドルームアパートメントが、2015年には165,000ドル(約1,876万円)で売れたそう!(※3) つまり、ジャクソンハイツの不動産価値は過去30年の間に8倍以上も上がったのです。1992年から2015年までのインフレーションの累計が69.23%(※4)ということをふまえると、物価よりもジャクソンハイツの不動産ははるかに高騰しているのです。

ジャクソンハイツはどこへ向かうのか。本作に明確な答えはありません。しかし、ジャクソンハイツのような町に存在するLGBTや移民など“人間の多様性”こそが新しいアメリカをつくる―。町の多様性を守ることこそが未来をつくる―。そんなことを教えてくれる傑作ドキュメンタリーです。

(文・此花さくや)

【参考】
※1…映画公式プログラム
※2…In gentrified cities which came first: Starbucks or higher real estate prices? – The Guardian
※3…Jackson Heights, Queens: Diverse and Evolving – The New York Times
※4…CPI Inflation Calculator – Bureau of Labor Statistics United States Department of Labor