川村元気によるベストセラー小説を映画化した『億男』(10月19日より公開)。原作は、お金と幸せの関係を寓話的に綴った哲学的な側面もあるファンタジーだが、映画でのテイストはがらりと変わった。

それもそのはず、監督は『るろうに剣心』シリーズで知られる大友啓史。「お金とはなにか?」という小説の大命題はきちんと追求しながら、映画全体が大胆不敵な活劇となっている。

とりわけ、キャスト陣のキャラクターの作り込みが凄まじい。ここでは、佐藤健、高橋一生、沢尻エリカ、北村一輝、藤原竜也が繰り広げる演技バトルについて見つめてみたい。

(C)2018映画「億男」製作委員会

主人公は、失踪した兄が残した3千万円の借金を背負い、返済に追われ、妻子とも離れ離れに暮らしている一男(佐藤健)。彼が宝くじで3億円をゲットし、これで借金は返済、家族生活も再開できる……と喜びつつも、額の大きさに不安になり、大学時代の親友で今は億万長者になった九十九(高橋一生)に「お金の取り扱い」について聞きに行くところから物語は始まる。

一男は九十九のアドバイス通り、3億円をすべて現金に換える。そして、「まずは使ってみよう」という九十九の誘いに乗り、九十九の高級マンションでゴージャスなパーティを開く。

さんざん酔っ払い、翌朝目覚めると、九十九と共に現金3億円は消えていた。行方不明となった九十九を探すために、かつて九十九と一緒に事業をおこなっていた3人、百瀬、千住、そして十和子の元を訪れ、「九十九は何者だったのか?」を尋ねていく。 

約10年ぶりに再会した親友は、もはやかつて自分が知っていたような人物ではなく、ただの裏切り者なのか? そんなミステリーを軸に映画は展開するが、主人公が出逢う九十九の元同僚3人がとにかく個性的で、まず、その人物像に圧倒される。 

怪物的演技を見せる北村一輝

のっけに登場するのは、関西弁で矢継ぎ早に言葉を繰り出す百瀬。演じているのは北村一輝だが、一瞬、誰なのかわからないほどの造形だ。髭面にメガネというだけでなく、口や腹に詰め物をして、別人のような姿形で、超然としている。

物腰穏やかな一男を挑発し、陥落させ、ずぶずぶと自分のテリトリーに落とし込んでいく狡猾な話術はまさにモンスター。だが、その一方で、九十九への想いをちらりと感じさせつつ、お金についても一本筋の通った自説を口にする。

破天荒でありながら、勢いだけで突っ走るのではなく、噛み締めがいのあるキャラクターに昇華している北村のアプローチは、アクロバティックでありながら、その底辺には人間味が充満している。

(C)2018映画「億男」製作委員会

カリスマの独壇場、藤原竜也

二番手は、大友監督とは『るろうに剣心』シリーズで組んでいる藤原竜也。ここでは、圧巻の存在感で千住というキャラクターを体現。千住は、詐欺まがいのセミナーを開催し、お金に悩む人々を相手に荒稼ぎしている。そのステージパフォーマンスはときに宗教的にも思えるほど、参加する者の心をがっちり掴む。舞台俳優としても超一流の藤原ならではのカリスマチックな言動は、説得力が半端ない。

大人数が相手でも、たった一人が相手でも、ブレることなく、自分の信念を口にして、揺らぎをまったく見せず、他人の意見は一切寄せつけない。その「過剰防衛」とも言うべき人格は、同時に、人間的な弱さもほのかに感じさせる。

(C)2018映画「億男」製作委員会

天才、沢尻エリカの荒んだ美

そして、3人目は、沢尻エリカが扮する十和子。九十九の恋人だったのではないかと噂される女性だ。お金をめぐる生活に疲れ果て、いまはお金への執着がない平凡な男性と結婚、団地で質素に暮らしている。

まず、そのビジュアルにインパクトがある。荒んだ美、と表現すればいいのだろうか。美しいが、底知れない闇を抱えていることが瞬時にわかるルックス。「幸せだ」と口にしながら、ちっとも幸せそうには見えない、決して払拭できない何かが蠢いている。 

沢尻は演者として一種の天才だと思うが、ここではあくまでもフラットに言葉を紡ぎながら、「自分で自分がわからない」という誰もが経験したことのある底なし沼を形にしている。戦慄の人物造形と呼んでいい。

(C)2018映画「億男」製作委員会

デジャヴをかたちにする高橋一生

本作の裏の主役は九十九である。必ずしも出番が多いわけではないが、その正体を知りたくなるくらい魅力がなければいけない。高橋一生は、キーパーソン、九十九を吸引力たっぷりに表現している。

一男と九十九をつなぐのは、大学の落語研究会だった。吃音のある九十九は、落語のときは朗々と語り、落研のスターとなった。ナイーヴにも見えるし、謎めいてもいる。一面からは捉えきれない多面体のキャラクター。きわめて頭脳明晰だが、同時に壊れそうなくらい純粋でもある。 

常に瀬戸際の淵ぎりぎりに立っているような九十九を、高橋は何も決めつけることなく、観る人がいかようにも受け取れる「広大な空間」として解放している。 

(C)2018映画「億男」製作委員会

この映画の主題の一つに「旅」があるが、九十九という存在はある意味「異郷」と言えるかもしれない。 

わたしたちは「異郷」に降り立ったとき、初めての違和感をおぼえるだけでなく、同時に、理屈を超えた懐かしさを享受したりもする。そう、デジャヴだ。来たことがないはずなのに、親しみがある。デジャヴとはそうした、異次元の郷愁のことだが、高橋一生がかたちづくる九十九は、まさに「出逢ったことがないのに、なぜか親近感を抱かせる」人物として、そこにいる。 

わたしたちの右脳と左脳をつなぐ経路のどこかに、ひっそりとうずくまっている「誰か」。高橋の演技アプローチは、そんな抽象的なイメージを具体化しており、心から魅せられる。

難攻不落の砦を登る佐藤健

だが、最も困難な芝居を成立させているのは、佐藤健である。一男は、この映画に登場するすべてのキャラクターの「相手役」であり、基本的には「ホスト」と言っていい存在だ。乱暴な言い方をしてしまえば、個性的な面々の弁舌の「聞き役」である。

だが、「ホスト」は、ただ話を聴いていればそれでいい、というわけではない。相手の話を聴くという行為が、映画として成立していなければならない。

北村一輝が、藤原竜也が、沢尻エリカが、そして高橋一生が、容赦なく投げ込んでくる「豪速球」をひたすら受けとめ、返球する佐藤健の姿を見つめていると、この俳優がいかに難しいことを、平気な顔で実現しているかがよくわかる。

『何者』(2016年)で演じた二宮拓人も難しい役だった。ドラマ「半分、青い。」の萩尾律も難しい役だった。近年の佐藤健は、ほんとうに彼にしか成し得ない難しいことばかりにトライしているように映るが、映画『億男』は難しさにおいて、その最高峰なのではないか。 

(C)2018映画「億男」製作委員会

一男は、平凡な男である。彼の情けなさは、観客一人ひとりにコネクトし、深層心理をよみがえらせる。主人公の言動は、すべてリアクションである。自発的におこなっているものは、何一つないと言っても過言ではない。

相手に翻弄され、打ちのめされ、考え込まされ、感じ入らされる。相手があっての自分。世界があっての自分。受動態としての生きものの「反応」を、佐藤健は一切奇を衒うことなく、あくまでも愚直に一つひとつ積み重ねていく。派手さはまるでない。むしろ、個性を感じさせてはいけない。なぜなら、周りにいるのが個性的な面々ばかりだからだ。

もちろん、無個性ではない。一男には固有の性質がある。それを最低限キープしながら、しかし決して誇示することなく、次々にやってくる超個性的なキャラクターたちを際立たせる仕事。

終幕のあと、しばらくしてから、あなたは気づくだろう。すべては、佐藤健が主人公を演じていたから成立していたのだと。

5人の演技巧者がバトルロワイヤルを繰り広げる『億男』。それぞれの芝居の違い、妙味、それらが混じり合う極上のマリアージュを堪能していただきたい。 

(文/相田冬二@アドバンスワークス)