文=圷 滋夫(あくつ しげお)/Avanti Press

“メメント・モリ”という言葉がある。“死を想え”、意訳をすれば“誰もが死ぬということを忘れるな”という意味のラテン語だ。古くより世界中で様々な芸術作品のモチーフや、テーマそのものにもなっている。日本でもそのままをタイトルにした藤原新也の傑作写真集『メメント・モリ』があるが、その撮影場所の一部はガンジス河の岸辺である。

時代や立場によってこの言葉の解釈は変化してきたのだが、現代であれば「生きることは死と表裏一体で、死を意識することによって、より豊かに生きることが出来る」といったところだろうか。

『ガンジスに還る』
10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
(c) Red Carpet Moving Pictures

死を想うことで、いかに生きるべきかを伝える注目作

さて日本はますます少子化と高齢化が進み、2010年には65歳以上が全人口の21%を占める“超高齢化社会”に突入した。その割合は2025年には約30%、2060年には約40%を超えるという統計もある。そうなると老後をいかに過ごすか、という関心以上に、その先の最期の時をどのように迎えるか、という問題が重要になってくる。

本作『ガンジスに還る』はそんな問いに対する一つの答えを示すと同時に、いかに生きるべきかということも教えてくれる、まさにメメント・モリ的な作品なのだ。

『ガンジスに還る』
10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
(c) Red Carpet Moving Pictures

舞台はタイトルからも分かるように、母なるガンジス河が流れるインドだ。夢のお告げで死期を悟ったダヤは、ガンジス河を臨みインド全土から巡礼者が訪れるヒンドゥー教最大の聖地バラナシを目指す。しかし家族としては1人で行かせるわけにもいかず、息子のラジーヴが仕事に追われながらも渋々同行することになる。そして2人は安らかに死を待つ人々が暮らすバラナシの宿に辿り着く。そこでダヤは解脱することを目指し、見知らぬ土地での慣れない2人の生活が始まった。

『ガンジスに還る』
10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
(c) Red Carpet Moving Pictures

スクリーンを鮮やかに彩る絶妙なキャラクター造形

まず2人のキャラクターが絶妙だ。頑固で息子を厳しく育てたのに孫娘スニタにはめっぽう甘い元教師の父ダヤと、子供の頃から父に頭が上がらずそれが今でもわだかまりになっている堅物の息子ラジーヴ。ある日、ラジーヴは長年言えずに積もった思いを初めて父にぶつけ、逆にダヤは息子がまだ小さかった頃に芽生えた詩人としての才能を伸ばしてやれず、後悔していると告白する。最初はぎこちなくぶつかってばかりだった2人が、互いに死について思いを巡らせながら、少しずつ歩み寄りその距離を縮めてゆく姿に胸を打たれる。

『ガンジスに還る』
10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
(c) Red Carpet Moving Pictures

そしてその距離感はダヤと同様やはり我が子に厳格なラジーヴと、現代的な考え方を持つ娘スニタとの関係にも当てはまり、ようやく予定が決まったスニタの結婚話を通じて相似形として描かれる。またラジーヴと妻ラタは、何気ない会話のやり取りがいぶし銀の夫婦漫才のようで思わず笑ってしまうのだが、そこから二人がこれまで連れ添ってきた長い時の流れがじわりと滲み出てくるようだ。

インド古来の死生観と、現代の中年男の成長物語をミックス

映画はラジーヴと父、娘、妻との三世代にまたがる関係が、それぞれ少しずつ変わってゆく過程を見せながら、会社だけに半生を捧げてきた仕事人間が、いかにして人間らしい生活と考え方を理解するかも描いてゆく。いつも携帯電話を離さず、最初は食事中でも電話に出て仕事の話をしていたラジーヴが、最後には出ずに切るようになっている。またマズくて食べられなかったラジーヴの料理は、妻に教えられてだんだん腕を上げ、最後は美味しく舌鼓を打ってもらえるまでになる。

『ガンジスに還る』
10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
(c) Red Carpet Moving Pictures

つまり本作はガンジス河に象徴される“死”についての世界観(死とは一つの過程であり、解脱を得ることで自由な魂になって祝福される)を描くと同時に、いかに残された“生”を全うするかという問題に直面した中年男の成長物語でもあるのだ。

ここで話をもう一度日本に移して考えてみると、バラナシの宿は養護施設について、ダヤが薬を拒絶する態度は延命治療や医療行為そのものについて、そして将来的には安楽死の問題についても考えさせられ、とても興味深く切実だ。

監督は、次代のインド映画を背負って立つ若手の逸材

監督と脚本は22歳からニューヨークで映画について学び始め、すぐに頭角を現した要注目のシュバシシュ・ブティアニだ。今年まだ27歳(撮影時はなんとまだ24歳!)とは思えないシリアスなテーマを選びながら、端々にユーモアをまぶした人情味あふれる極上の物語に仕立てた脚本が素晴らしい。

スクーターや大麻入りラッシー、死亡広告などいくつものアイテムを伏線として登場させ、それらがニヤリとさせられながら効果的に回収されるのだ。そして国際的に活躍するラジーヴ役のアディル・フセイン他、インドの名優たちの巧さを上手く引き出した細やかな描写には、まるで熟練監督のような確かな演出力も感じられる。

『ガンジスに還る』
10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
(c) Red Carpet Moving Pictures

ワクワクさせるカメラワークと、洗練された映画音楽

神々しい逆光を上手く取り入れた撮影も美しい。特に悠久の時を感じさせるガンジス河の、魅力的な姿が何度もスクリーンに浮かび上がる。人々が沐浴や洗濯をしている早朝の風景、朝日や夕陽にキラキラ輝く雄大な流れ、夜祭の艶やかな炎が揺らめく川面、そして遺体が燃やされ清められる河岸。そこには多くの人々の人生が映し出され流れてゆく。また女性の衣装サリーの鮮やかな色彩や、パステルカラーに塗られ細く入り組んだ迷路のような裏路地は、カメラが移動するだけでもワクワクしてしまう。

『ガンジスに還る』
10月27日(土)より岩波ホールほか全国順次公開
(c) Red Carpet Moving Pictures

音楽についても、劇中で実際に演奏され歌われるインドの伝統的な宗教音楽はディープな異国情緒を醸し出し、クラシックギターと民族楽器を場面ごとにバランス良く組み合わせたスコアは、洗練されたモダンな空気でスクリーンを満たしている。これらの音楽が気持ち良く絡み合いながら、伝統と発展、喜びと悲しみ、そして生と死が一つになって、人生に戸惑い躓きながらも、精一杯に生きている登場人物たちに寄り添うように流れてくるのだ。

本作は2016年のヴェネチア国際映画祭ほか、世界中の多くの映画祭で受賞を果たしている。