気鋭の作家・本谷有希子の小説がまたも映画化だ。主演に女優・趣里、その恋人役に俳優・菅田将暉を擁する映画『生きてるだけで、愛。』が11月9日より公開となる。本作は、鬱から来る過眠症により引きこもり気味の寧子(趣里)と、出版社でゴシップ記事の執筆に明け暮れながら寧子と暮らす津奈木(菅田)が織りなすいびつなラブストーリーだ。これまでにも何作か映画化されてきた本谷作品の魅力に迫ってみよう。

(C)2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会

劇団旗揚げ、演出に脚本も…異色の作家・本谷有希子

本谷といえば、2011年の『ぬるい毒』で野間文芸新人賞、2013年の『嵐のピクニック』で第7回大江健三郎賞、2014年の『自分を好きになる方法』で三島由紀夫賞を受賞、2016年には『異類婚姻譚』で芥川龍之介賞を受賞など、名だたる賞を総なめにした才気あふれる作家である。疾走感のある文体でつづられる、ユーモラスだが毒の込められた濃密なストーリーに魅せられるファンが後を絶たない。

なぜ本谷の小説は、こんなにも唯一無二なのか。それはおそらく、本谷が“演劇畑”の作家であることと無関係ではないだろう。もともと俳優や劇作家、演出家、脚本家、映画監督とマルチに活動する松尾スズキの弟子でもある本谷は、2000年より専属の俳優を持たない“プロデュース・ユニット”式の「劇団、本谷有希子」を旗揚げ。主宰として、演出と脚本を多数手がける劇作家としても活動してきた。

劇作を原点とする本谷作品は、それゆえに、演出家・劇作家としての彼女の世界観が色濃く反映されたものとなっている。さらに、彼女の劇作や小説から派生した“映画”という媒体では、監督をはじめとする本谷以外の人間がまた違う目線からその世界を描き出すことで、本谷の世界観によりいっそう強い輝きを与えている。映画として感じる本谷の作品は、ファンにとってはあまりに魅力的なのである。

本谷作品で描かれる“自意識”の世界

どこかとっぴな登場人物たちの造詣も、本谷作品が支持される理由の一つかもしれない。2000年に舞台劇として上演され、2004年に本谷自らにより小説化、後2007年に映画化もされた『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』は、そんな本谷作品の王道とも呼べる作品ではないだろうか。映画版では、「自分は特別な人間」と自負するも女優としてまったく芽が出ない勘違い女な姉・澄伽(佐藤江梨子)と、澄伽に虐げられながらも彼女をネタに漫画を描くことを辞めないしたたかな妹・清深(佐津川愛美)が繰り広げる、家族の愛憎劇だ。

また、2005年に戯曲として上演、2008年に小説として刊行、2010年に映画となった『乱暴と待機』に登場するのも、一癖も二癖もあるキャラクターたちばかり。市営住宅で暮らす4人の男女――妻を差し置いて浮気に走る夫・番上(山田孝之)、妊娠中の妻・あずさ(小池栄子)、番上の浮気相手・奈々瀬(美波)、ふたりの浮気現場をこっそり覗き見することを習慣とする英則(浅野忠信)――によって織りなされるストーリーは、それぞれの個性のぶつかり合いによってあらぬ方向へと転じてゆく。

これら本谷作品に共通するのは、しばし登場する“自意識”の高いキャラクターの存在だ。過剰な自意識を持て余すがゆえに妄想過多に陥り、葛藤し、突っ走り、暴走してしまう人物たち。彼らはやがて、エキセントリックなストーリーの展開をも招いてゆく。

『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の澄伽は現代社会によくいる“意識高い系”“勘違い系”の典型であるのだが、そのこじらせすぎた自己陶酔が本人さえをも振り回すようになる様はまさに圧巻。『乱暴と待機』の奈々瀬は「人に嫌われたくない」という妄想過多ゆえに番上との肉体関係を拒めずにおり、その着地点は視聴者にとって予想のつかないものとなっている。つまり、本谷作品はどれもこの“自意識”こそが見どころであり、抗いがたい磁力なのである。

生きてるだけで、愛。

(C)2018『生きてるだけで、愛。』製作委員会

映画『生きてるだけで、愛。』の主人公・寧子も、自意識をこじらせヒステリックな行動に走ってしまう。一見奇行にも感じられる彼女の言動だが、その内心はなかなかに複雑だ。本谷作品の要となる自意識によって生み出された幾重もの“心のひだ”が、果たしてどのように描かれるのか。本谷が紡ぐ“自意識”をぜひ映像からも感じ取っていただきたい。

(文/ナカニシハナ)