ブルース・リーはこの監督の映画に出演することをずっと望み続けていた。

無名時代のジャッキー・チェンやサモ・ハン・キンポーらは、この監督作品の現場のエキストラや脇役出演で、映画とは何かを学んだ。

アン・リーやホウ・シャオシェンなど現代アジア映画界の名匠と呼ばれて久しい面々の多くは、若き日よりこの監督の映画に憧れ、いつか武侠映画を撮ることを宿願とし、それを達成した。

中国・香港・台湾はもとよりアジア映画の隆盛の礎となった巨匠、それがキン・フー監督である。

黒澤明、サタジット・レイと並ぶアジアの巨匠の全貌が今明らかに!

映画ファンを自認する方ならば、キン・フーという映画監督の名前くらいは聞いたことがあるだろう。

1932年、中国の北京生まれ。単身で香港に渡り、1966年の監督第2作『大酔侠』でアジア全域に武侠映画ブームを巻き起こした大ヒットメーカーだ。

さらには台湾映画超大作『侠女』(1971年)でカンヌ国際映画祭高等技術委員会グランプリを受賞し、日本の黒澤明、インドのサタジット・レイと並ぶアジアの名匠として世界的名声を獲得。

そんなキン・フー監督だが、日本では『残酷ドラゴン 決斗竜門の宿』(1967年)以外にリアルタイム的な劇場公開作品はなく、一部の香港&台湾映画マニアの間で伝説的存在と化して久しいものがあった。

それがここ数年、台湾を中心とするキン・フー監督再評価の気運に乗せて、昨年日本でもついに『決斗竜門の宿』リバイバルに加え、『侠女』が劇場初公開!

そしてさらに勢いに乗せて、今年ついにキン・フー監督作品の中で最長の超大作ファンタジー映画『山中傳奇』(1979年)が劇場公開されることになったのである。これを快挙と呼ばずして何と呼ぼう!

キン・フー 山中傳奇サブ7

写経をめぐっての悪霊と善霊のセッション・バトル!

『山中傳奇』の舞台は11世紀、宋の時代。

若く貧乏な学僧の雲青(シー・チュン)は、崔という男の紹介で、戦乱で死んだ者たちを鎮魂するための写経に集中できる地へ赴き、そこで美しい娘・楽娘(シュー・フォン)と出会い、結ばれる。しかしその後、楽娘とその近辺の者たちは何かと不穏な動きを見せるようになり、雲青の写経を盗もうとする。やがて楽娘の正体が悪霊であることを知らされた雲青は、同地の居酒屋の娘・依雲(シルビア・チャン)と心を通わせるようになるが、そのことを知った楽娘は……。

キン・フー 山中傳奇

ここで繰り広げられるのは、写経をめぐる悪霊と善霊の確執という、実にシンプルな構造の物語ではあるのだが、キン・フー監督はこれを何と3時間12分という大河のごとき悠々たる流れで、しかし一時も観る者を飽きさせることなく魅せてくれる。

空や雲、霞、川、といった東洋ならではの風景を墨絵のごとき空間の妙で切った光と影の映像美の中、『侠女』をはじめキン・フー映画のミューズとも讃えられる名女優シュー・フォンや、当時デビューしたての初々しくも清楚なシルビア・チャンたちが壮絶なバトルを展開。

しかし、それはいわゆる通常のアクションとは一線を画し、太鼓や仏具の鳴物、さらにはシンバルなどの楽器の音の連打を武器にした、いわばサウンド・セッション・バトルという、他に例を見ない大胆かつ秀逸なものなのである。

こうした画と音のコラボレーションはダイナミックな迫力と抒情をも融合させ、およそ西洋では成し得ない独自の世界観を醸し出すことに成功している。

そう、これこそがキン・フー・マジックなのだ!

キン・フー 山中傳奇サブ5

キンフー監督なしに今のアジア映画の隆盛はありえない

実はこの『山中傳奇』、日本では1985年の第1回東京国際ファンタスティック映画祭で180分のバージョンが渋谷パンテオンで上映されたが(このときキン・フー監督は来日し、大林宣彦監督とファンタジー映画についての対談を行っている)、その後でビデオ&レーザーディスク化されたものは116分の国際短縮版であった。

その後、有志の尽力で1989年にキン・フー映画祭が東京・池袋で開催され、当然そこで『山中傳奇』も上映されたのだが、そのとき届いたプリントが東京ファンタ版よりも長い192分のヴァージョンで、それがおそらくは本作の真のランニング・タイムではないかと伝えられている(もしかして、もっと長い版も底かに存在する?)。

ちなみにこのキン・フー映画祭開催の折、来日したキン・フー監督に、幸運にも私は取材させていただくことができた。

書家としても知られる監督は、まるで大学教授のように聡明かつ落ち着きのある知識人で、次回作にアメリカの鉄道敷設工事に従事させられた中国人たちの苦難を描いた作品を企画していると聞かされたが、資金その他もろもろの理由で準備が長引き、1997年に死去。まだ65歳の若さであった。

キン・フー 山中傳奇サブ8

ブルース・リーやジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポーらアジア映画のアクション・スターたちも、アン・リーら名匠たちも、みなキン・フー映画を己の血肉として、映画的感性を育て上げた。

映画館をモチーフにしたツァイ・ミンリャン監督の『楽日』(2003年)の中、ラストショーを迎えた映画館でかかる映画は『残酷ドラゴン 決斗竜門の宿』であった。

繰り返すが、キン・フーがいなければ武侠映画はもとより、現在のアジア映画の隆盛はありえなかったといっても過言ではない。そして『山中傳奇』こそは、そんなキン・フー監督ならではの秀逸かつ荘厳なファンタジー超大作として一見を強くお勧めしたい。

映画の魅力とは何か? その明快なる答えが、この作品の中には秘められているのだ。

(文・増當竜也)

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