白人警官の黒人市民に対する人種差別に端を発した、1992年のロサンゼルス暴動に巻き込まれる家族を描く『マイ・サンシャイン』(12月15日公開)。本作は家族愛を描くとともに、さまざまな問題が複雑に絡み合った社会に翻弄される「普通の人々」を淡々と観せる。そして、映画として結論づけるのではなく、観客に何を感じるかを問いかけてくる作品だ。

(C) 2017 CC CINEMA INTERNATIONAL–SCOPE PICTURES–FRANCE 2 CINEMA-AD VITAM-SUFFRAGETTES

家族のため、狂乱の街を奔走する主人公・ミリー

 舞台は、1992年のロサンゼルス・サウスセントラル。治安の悪いこの黒人地区で、シングルマザーである黒人女性のミリーは、自分の子どもに加え、家族と暮らすことのできない子どもを引き取り育てていた。

ミリーは毎日、ケーキを焼いて売り、家は朝からお腹を空かせた子どもたちでしっちゃかめっちゃか。大家族の賑やかさは、万国共通だ。ご近所もみんな知り合い同士で、騒々しいミリー一家に文句を言う白人男性で隣人のオビーも日常風景のひとつだ。そんな暮らしからは、人々が寄り添いながら貧しい生活を必死に送っているのが見て取れ、あくせくした日常と暴動が結びつかなかったりもする。

だが、黒人男性ロドニー・キングが白人警察官数人に暴行されたロドニー・キング事件や、黒人少女が射殺されたラターシャ・ハーリンズ事件など、黒人が被害者となった裁判での不当な判決に対する怒り、さらには貧困や地域の荒廃などの市民の鬱憤が相まり、ロサンゼルス暴動が勃発。1992年4月末から5月頭にかけて実際に起きたこの暴動は、死者約50人、負傷者約2,400人、火災発生件数5,300ヵ所を数える大規模な事件となってしまった。

サウスセントラルも内乱状態となる中、長男のジェシーは友達のウィリアムを止めようと暴動の渦中に飛び込み、家に残ったのはまだ幼い子供たちだけ。家族を守ろうとミリーは、オビーと協力して狂乱のサウスセントラルを奔走する。

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 ささやかな日常と殺伐とした空気の狭間で

ミリー一家のささやかな日常の一方、街にはギャングが闊歩し、店には頑丈な鉄格子がはめられ、空き家からはトイレが丸ごと盗まれるのもサウスセントラルの現実だ。

ウィリアムには帰る家がなく、地区全体を覆う殺伐とした空気も人々を切迫した気持ちにさせる。劇中にはロドニー・キング事件、ラターシャ・ハーリンズ事件の裁判過程を報じるニュース映像が織り込まれ、街が静かに、そして確実に不穏なベクトルへと向かっていることを暗示する。

この映画は、日々の暮らしに追われる人々の目線からロサンゼルス暴動を捉えることで、アメリカが抱える問題の根深さや複雑さを実感させる。

本作には人種差別、貧困、地域の荒廃等々、とても個人では抗いきれない現実の中での精一杯の日常が息づく。と同時に崇高な理想論で世界が変わるほど現実が単純ではないことを改めて見せつけられ、個人の無力さに困惑さえする。

逆に言えば、デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督も困惑の先にひとりひとりが永遠の難問と真剣に向き合うよう、自らの結論を示さなかったのだろう。実際、ロサンゼルス暴動による問題提起も、四半世紀を経た今日に引き継がれたままなのだから。

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ミリーには実在のモデルが

子どもたちは無事か。そしてミリーは昨日と同じ今日を取り戻すことができるのか。それは実際に劇場に足を運んで確認してもらいたい。

なお、エルギュヴェン監督は「『マイ・サンシャイン』で描かれるシーンはすべて現実をもとにしています」と語っている。もちろんミリーにもモデルがいて、モデルとなった女性は17歳の息子を殺人事件で亡くしているという。そういった話を耳にすると、家族が一緒にいられるささやかながらも根本的な幸せの意味も、またさらなる重みを帯びてくる。

ロサンゼルス暴動を普通の人々の視点から捉え、観客にも問題提起する『マイ・サンシャイン』。過去の出来事ではなく、現在進行形の問題であることを改めて見直す意味でも、ぜひとも観てもらいたい作品だ。

 (文/兒玉常利@アドバンスワークス)