文=相田冬二/Avanti Press

この文章を目にする人の中で、まだキスを経験したことがない方が何割くらいいるかはわからない。でも、最初に書いておきたい。もし、あなたが、映画が好きで、まだキスをしたことがなかったとしたら。
キスをしたあとで、映画の中のキスシーンの印象は間違いなく変わる。スクリーンに映っているのがたとえどんな美男美女だとしても、それは他人事にはならない。キスの感触が、あなた自身の、あなただけの感覚を、呼び覚ます。

人は、心と脳だけで映画を観ているわけではない。視覚や聴覚以外の躰を使って、見つめている。もし、あなたがキスをしたことがあるなら、考えるよりも先に、どこかが感応するだろう。
そのとき、なにかが、よみがえる。キスの記憶だけではなく、キスを知った躰の痕跡が。きっと、疼くだろう。
キスは人を震わせる。映画の中のキスもそれは変わらない。それは絵空事ではない。映像が、あなたの躰のどこかを震わせる。

キスは、キスの前後の人生をセパレートする

キスは人の運命を変える。より正確に言えば、キスは、キスする前の人生と、キスした後の人生を、セパレートする。
キスをした後は、もう、キスする前には戻れない。キスした後の運命を生きるしかない。喪失と付与。キスには、そのような側面がある。
インパクトと余韻。そう言い換えてもいい。たとえば事故のように起きたキスが、消えない炎としてどこかに灯っていく。

『戦場のメリークリスマス』のエモーショナルかつ破壊的なキス

『戦場のメリークリスマス』(1983年)という映画がある。1942年、日本統治下のジャワ島。舞台は捕虜収容所である。所長である陸軍大尉は、誇り高き英国人捕虜に惹かれる。
だが、立場上、そんなことは許されない。ましてや、男同士である。軍人として、ありえない。
心に蓋をしたいのに、しきれない大尉だったが、あるとき、捕虜にキスされる。衆人環視の状態で、両頬に。
大尉は崩れ落ちる。茫然自失と言っていいだろう。彼を支えていたものは、ある意味、すべて崩壊する。

『戦場のメリークリスマス』(C)Moviestore Collection/Face to Face/Photoshot

捕虜を演じるデヴィッド・ボウイのキスは、決して甘いものではない。むしろ硬い。両方の頬に唇を硬くタッチさせただけのことである。
だが、これほどエモーショナルで、なおかつ破壊的なキスもないのではいか。ボウイの決然とした表情は、大尉の混迷する魂を救済する神にも見えるし、錯乱の果てへと追い込む悪魔のようにも映る。

大尉に扮した坂本龍一の卒倒の表情も凄まじい。キスは人の運命を変える。完全に変える。後戻りさせなくする。その真実が、ここには刻まれている。

初めて出逢ったとき、大尉は、毅然とした捕虜の態度にリスペクトの念を抱いていた。
人が人に抱くリスペクトはヒエラルキーを乗り越える。どちらが上か下かということはどうでもよくなるのだ。
キスも別な意味でヒエラルキーを乗り越える。ここでは、キスをする人と、キスをされる人が、そこにいるだけだ。
境界線が抹消される。リスペクトがたどり着いた先に、まるで不意打ちのように待ち構えていたキスは、人の運命が常にギリギリのタイトロープをわたっていることを、躰に教えてくれる。

『カフェ・ソサエティ』の橋の上のキス

わたる、といえば、橋。
橋はきわめて映画的なアイテムだが、恋人たちの情感が高まる場所=空間でもある。だから、女と男は、あるとき橋の上でキスをする。そして、それが忘れられない記憶にもなる。
『カフェ・ソサエティ』(2016年)で描かれる橋の上のキスは、屈指の名場面だ。

『カフェ・ソサエティ』(C)Lionsgate/Photofest

少し離れた場所にいるふたり。最初は女から男にキスをする。その後、今度は男から女にキスをする。
ふたりの下には川が流れている。決して、とどまることのない水の流れ。 ふたりの背後には摩天楼がそびえ立っている。見守っているようでもあり、見下しているようでもある頂き。
ふたりを取り囲むのは黄昏。淡く儚いそのカラーは、永遠であり一瞬でもある。永遠は一瞬。一瞬は永遠。
ときは動いている。なにかが見つめている。そうして、最初で最後のひとときが訪れる。
この3つを、たったひとつの構図で伝えきるそのシーンは、それ自体がまるでポストカードみたいな情景だ。

主人公である男はあるとき、このキスを想い出す。
キスは、人を震わせるだけではなく、静止もさせる。さらに、特別な色に染め上げる。
色づいたハートが褪せることはない。揺れたり、止まったりした心模様は、いつか、鮮やかに解凍される。

『セーラー服と機関銃』の生きていくための、キス

キスは記憶と密接な関係にあるが、『セーラー服と機関銃』(1981年)はその関係性を反転させた特別な作品だ。
忘れられない記憶としてのキスではなく、「これまで」を記憶するためのキスがここでは描かれた。

女子高生ながらヤクザの組長になった女の子。彼女は、彼女を支え続けた若頭の遺体に接したとき、その唇に唇を重ねる。

初めてのキス。だが、そのキスを、愛しい相手は知覚することができない。だから、それは彼女が、彼女自身の人生にキスしていることに近い。
若頭との日々を記憶するための、キス。締めくくりとしての、キス。ピリオドを打つことで「これまで」が「これから」になる。

生きていくための、キス。たったひとりでする、キス。哀しいけれど、逞しいキスがそこにあった。

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キスは多様な可能性に満ちている。
人生を、ここではないどこかに運ぶキス。
命を運ぶと運命になる。
運命の同伴者としてのキスを、あなたも映画の中から見出してほしい。