筒井康隆が1965年から翌1966年に執筆した小説『時をかける少女』は、これまでに何度も映像化されている。その最初は1972年のTVドラマ「タイム・トラベラー」(NHK)。以降、約10年おきに、その世代にふさわしい女性アイドルを主演に起用して、コンスタントにドラマ化されている。

一方、映画化作品はこれまでに4本。そのいずれもが、映画としてまったく違う個性を発揮しており、筒井によるSFジュブナイル(筒井によれば「元祖ラノベ」とのこと)の奥深さを体感させてくれる。ここでは、4つの映画『時をかける少女』にスポットを当ててみたい。

大林宣彦監督版(1983年):叙情性あふれるラブストーリー

まず、筒井のこの小説があらためて脚光を浴びるきっかけになったのが、大林宣彦監督による1983年の作品だ。前年、薬師丸ひろ子に続く映画アイドルとしてデビューしていた原田知世は本作で映画初主演を果たし、自ら歌った主題歌も大ヒット。一躍、ブレイクを果たした。

大林監督は女優を輝かせる名手であり、『時をかける少女』も優れたアイドル映画なのだが、そこには留まらない普遍性のある映画的魅力が充満している。未来からやってきた転校生と出逢ったことから、タイムリープを体験することになった女子高生の物語。設定こそSFだが、学園ドラマでもあり、少女の内面を見つめたラブストーリーでもある。

『時をかける少女』(1983年)より

大林監督はもともと実験映画出身であり、ギミック性高めの映像テクニシャン。ときにそのクセの強さは、作品によっては好き嫌いを招くことにもなるが、本作では監督の故郷、尾道を舞台にしていることもあり、すべてが叙情性へと昇華した。

不気味な描写も、おどろおどろしいムードもあるのだが、そうしたホラー・テイストは、可憐な原田知世の像と、尾道の観る者の深層心理を愛撫する「憧憬としての場所」効果によって中和され、むしろスパイスとして機能している。

この現象は、かなりの個性派である作家、筒井康隆があえて少年少女向けのジュブナイルを手がけ大成功を収めた経緯に、結果的には重なるものがある。

大林監督にはやはり尾道を舞台にした『転校生』(このタイトルは『時をかける少女』のキーマンである未来からの使者の「予告」だったのかもしれない)という名作があるが、映画愛が強い作品のため、『時をかける少女』ほどの一般性はない。

『時をかける少女』にはなんと言っても、誰でも楽しめる「間口の広さ」がある。本作で「土曜日の実験室」「ラベンダーの香り」という呪文めいたフレーズの虜になった少年少女(現在は中高年)はかなりの人数だった。

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角川春樹監督版(1997年):きわめて静謐な「純愛映画」

大林監督版をプロデュースした角川春樹は後に、自らのメガホンでリメイクしている。それが1997年の『時をかける少女』だ。モノクローム作品で、無名のキャストを起用したこともあり、知名度は低いが、実はこれは隠れた傑作。個人的には角川監督の最高傑作であると考えている。

1983年作品とは真逆の印象。長野県で撮影された白黒映像はひっそりとしていて、キラキラ感はまるでなく、とにかく清潔で静謐。だからこそ、ヒロインと未来人の恋というシチュエーションをはるかにこえた「純愛」の側面が強まっている。 

さらに言えば、そもそも赤の他人に惹かれ、恋をするということは、未来からの使者と出逢うことと大差ないのではないか? そんなことすら思わせるほど、この映画の肌ざわりはピュアで誠実だ。

モノクロで切り取られた長野の風景が、ときおり、未来の光景にも映る以外は、映像的なギミックは皆無。主演二人のつたない演技がもたらす沈黙を排除したり、否定したりしない、角川春樹監督の演出は、若い恋人たちの「たどたどしさ」こそを肯定してみせる。

『時をかける少女』(1997年)より (C)1997 『時をかける少女』製作委員会

大林宣彦監督版のような派手さもわかりやすさもないが、恋について考えたことがあるひと、恋について考えてみたいひとにとっては、大いなる「気づき」をもたらす、「語りかけてくる」逸品である。日本映画というよりは、ヨーロッパ映画に接するような感覚がある。

ちなみにナレーションは、原田知世。主題歌は、原田が歌った「時をかける少女」の作詞・作曲を手がけた松任谷由実が、同じ歌詞を新しいメロディで歌い直した「時のカンツォーネ」である。映画そのものだけでなく、オプションもかなりレアだ。

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細田守監督版(2006年):誰にも通底する普遍的な青春

さて、21世紀に入ってからも、2本の映画『時をかける少女』が誕生している。

現在では、大林監督による「元祖」よりも、こちらのほうが馴染み深いのではないだろうか。2006年の細田守監督のアニメーション作品『時をかける少女』。細田監督の一大出世作としても名高く、細田監督を愛する熱烈ファンの間でも評価は抜群に高い。

主人公は、原作のヒロイン、芳山和子の姪という設定。つまり「次の世代」のストーリーだ。学園ものとしての色彩が強まっており、キャラクターの設定などにはラノベ的な要素もある。すなわち、かなり現代的な「仕立直し」がおこなわれている。

大林監督版のように少女の内面を覗き込むというよりは、少女に寄り添い、並走し、その成長を共に体験していくような心地よさがある。そこから生まれる爽やかな実感は、細田監督ならではの優しさによるものだろう。

一度覚えたタイムリープを多用して、危機を回避する現代っ子の姿を否定したり、説教したりはせずに、そのことによって挫折したときの心象こそを丁寧に扱う筆致。

若いころは誰もが、万能感を得たり、その正反対の無力感を痛感したりするものだが、ここではそうした「ひととしての当たり前の感情」のアップ&ダウンが見つめられており、逆に言えばもはやSFとは思えないほど、青春映画になっている。

これは、本作がアニメーションであることが大きい。アニメ表現においてタイムリープはさほど珍しい出来事ではない。だからタイムリープの特異性が悪目立ちすることなく、一人の人間の人格形成が際立つのだ。

谷口正晃監督版(2010年):家族を、他者を理解するために

大林宣彦監督の『時をかける少女』は叙情的なラブストーリーだった。角川春樹監督の『時をかける少女』は静謐な純愛映画だった。だが、細田守監督の『時をかける少女』はまっさらな青春映画だった。LOVEはあるのだが、さほど大きな位置を占めてはいない。

これは、20世紀と21世紀の大きな違いかもしれない。LOVEに頼らず、一人の女性として、いや、一人の人間として生きていくこと。ヒロインに託すものが、80年代や90年代とは明らかに異なっている。

2010年の『時をかける少女』は、細田監督版の主演声優だった仲里依紗を主演女優に迎えた実写映画である。監督は谷口正晃。主人公は、芳山和子の娘。彼女は、父親のことを知らなかった。母親が交通事故に遭ったことをきっかけに、「1972年4月6日の土曜日の実験室に行く」という母親の願いを叶えるため奔走することになる。

タイムリープはおこなわれるが、コメディのような側面もあり、親の運命の恋を「知る」という意味では、アメリカ映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)風でもある。

主人公は、タイムリープすることで70年代に生きる青年と出逢う。その青年は8ミリカメラで2011年を舞台にした映画を撮っている。つまり、ここでは主人公が「未来人」として、過去に降り立っているのだ!

前3作に較べるとかなりの異色作だが、細田監督版から精神的なバトンを受け取っていることが感じられる。それは前述したように、LOVEに重きを置くのではなく、家族に対する理解、そして、「他者」への許容が描かれているという点だ。

青年との間に、ある種の絆は生まれるが、それは必ずしも恋愛に傾斜したものではない。主人公は「人間を知る」ということを学ぶのだ。

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タイムリープの渦中にあるヒロインを描いても、20世紀と21世紀ではこれだけ異なる。それは時代の影響もあるだろう。また、自分が生きる世界についての認識の違いでもある。価値観の変容でもある。

駆け落ちすらも予感させた親世代の恋。その恋を見つめ、検証する子ども世代は、より深い認識で、逞しい視線すら感じさせる。

1冊の小説から、時をかけるように生まれていった4本の映画を、いまこそ見較べてほしい。

 (文/相田冬二@アドバンスワークス)