<不定期連載2>まだ知られてない樹木希林の魅力

「いちばん幼かった頃のこと」

『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』より

 

3月1日に発表された『第42回 日本アカデミー賞』で最優秀助演女優賞を受賞し、私たちの記憶だけでなく記録にもますます名を残し続けている樹木希林さん。その生きざまや口にしてきた言葉は、世の人を惹きつけ魅了しているが、どのような家庭環境でどのように育ってきたのかは案外知られていないだろう。

本書『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』に再掲したインタビュー「いちばん幼かった頃のこと」(グランまま社『おはなししてよ おじいちゃん おはなししてよ おばあちゃん』より)では、家族(父、母、兄妹)のことについて語っている。

酔っ払った母を担いで帰ってきた父

父は琵琶の名手で“粗大ゴミみたいな人”

樹木さんの父・中谷襄水は薩摩琵琶錦心流の名手だった。そのため、家にいることが多かったようで、樹木さんは「幼稚園や小学校を私が休むと、父はすごく喜んで『啓子、休んだか、こっちへこい、こっちへこい』って、すごく喜ぶような人」と回想している。

子どもを学校へ通わせ、自分は外へ働きに出るのが一般的な父親だとすれば、真逆である。「粗大ゴミみたいな人で、朝起きると顔も洗わないで一服した後、琵琶を弾くんですね。母はよく働く人で、ほうきで父も一緒に掃きだすようにしても動かなかった」と父と母の性格の違いを語っている。

母は働き者の大酒飲み

逆に父より7歳年上だった母は働き者で、「家の生計はほとんど母によって成り立っていた気がします」と語る。しかしどこか抜けているところもあったようで、年をとってから運転免許を取ったが、「信号で突然動きだし、歩いている人の爪先を轢いたりします。『だって、横の信号見たら青だったからあわてちゃってさ』って。当たり前です。正面が赤の時は横は青なんですものねえ」という危なっかしいエピソードも披露している。

樹木さんは両親のことをどちらも「愉快な人」と話し、「父はお酒がまったく飲めず、母は大酒飲みで、ちいさい頃、酔っ払った母を担いで帰ってきたのを思い出します。とても仲のよい夫婦でした」と回顧している。常識にとらわれない樹木さんの性格や考え方はおおらかな両親の影響が大きいのかもしれない。

幼いころの秘密

(c)キネマ旬報社
『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』

遺産を分けるときに知らない兄弟がでてきた

樹木さんは、妹とずっと二人姉妹で育ってきた(妹は父の後を継いで琵琶奏者になった)。しかし樹木さんが41歳のときに母親が亡くなり、遺産を分けることになったときに初めて父親違いの兄と姉がでてくる。「こんな話は小説や映画や他人事だとばかり思っていた」(文藝春秋『オカン、おふくろ、お母さん』より/こちらも本書再掲)と語るように当然驚いたようだが、時がたてばこのことも「父親違いですが、今は四人仲良しです。大きくなった時、兄妹がいた方が頼りになってうれしいですね」と、けろりと話している。

幼き樹木さん、実はこんなことを…

そんな大らかな両親のもとで育っていた幼き樹木さんは、おこずかいは駄菓子屋で使っていたという、いたって普通の少女だった。そして幼い頃の過ちの1つや2つは誰にでもあるもの。樹木さんにも、今では想像出来ないこんなエピソードが…。

「家のお金を盗んだこともあります。母が家で洋服を縫っていたので、ミシンが二~三台あって、ミシンの布の上に無造作にお金が乗っかっていたんですね。お金の値打ちもまだわからないのですが、後ろめたい感じは覚えています」

 

樹木さんも私たちとあまり変わらない少女時代を過ごしていたようだ。本書『いつも心に樹木希林 ひとりの役者の咲きざま、死にざま』にはそんなエピソードをまだまだ収録している。こうして誕生した「少女・中谷啓子」は、このあとどのような道のりを経て「役者・樹木希林」となるのか。ぜひ本書で追体験して欲しい。

制作:キネマ旬報社