主演俳優のけがや病気による降板、セットが洪水で崩壊、資金不足などの紆余(うよ)曲折を経て完成した映画『ザ・マン・フー・キルド・ドン・キホーテ(原題) / The Man Who Killed Don Quixote』(ドン・キホーテを殺した男)について、テリー・ギリアム監督が、4月10日(現地時間)ニューヨークのAOL開催イベントで語った。

 本作は、作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」に、ギリアム監督が独自の解釈を加え、奇想天外に描いたファンタジー・アドベンチャー。シニカルなCMディレクターのトビー(アダム・ドライヴァー])が、理想に燃えていた若い頃にドン・キホーテの映画を制作したスペインの村を再び訪れ、自分をドン・キホーテと信じる靴作りの老人(ジョナサン・プライス)の妄想にとらわれる姿を描く。

 この映画にこだわってきた理由を「自分自身が選択したというよりも、『ドン・キホーテを殺した男』に取りつかれてしまったと思っている」と語るギリアム監督。「数世紀も前に書かれた小説『ドン・キホーテ』の犠牲者になったわけさ。自分が読んでいる小説には注意を払わなければいけないね(笑)。小説は、人々をとりこにするだけでなく、アイデアやキャラクター、さらにそのキャラクターが表現していることまで、とりこにしていくんだ。そして、いつしか自分自身がそのキャラクターに成り切っていたんだと思うよ」

 1989年に企画を立ち上げた当時、プロデューサーに2,000万ドル(約22億円=1ドル110円計算)の制作資金が必要だと話を持ち掛けたギリアム監督。だが、そのアイデアに2,500万ドル(約27億5,000万円)出すと言う会社が現れ、その会社と何か月もかけて進めるも、突然制作は中止。その後、ジョニー・デップと共に再び企画を始めた頃には、制作費は3,200万ドル(約35億2,000万円)に膨れ上がっていたそうだ。「でも、今回僕らが制作した作品は、およそ2,000万ドル(約22億円)だった。つまり制作費は1989年に企画した当時と変わらなかったわけだ(笑)」

 今作の撮影を開始したのは今から2年前だが、立ち上げから30年を経て、脚本は変わったのだろうか。「1989年に製作資金が集まったとき、まだ僕は小説『ドン・キホーテ』を読んでいなかったんだ。知っているつもりだったけれど、(実際に本を読むと)ドン・キホーテについて、よくわかっていないと気付かされたよ。僕と『バロン』でタッグを組んだ脚本家チャールズ・マッケオンは、あの小説をいかに凝縮して2、3時間の映画にすればよいのか、わからなかったんだ」

 当時のオリジナルの脚本は、小さなスペインの村の設定で、老人が『もしあの時こうしていたら、あの時そうしていたら……』と過去に回帰するばかりの人生に飽き飽きし、最後に雄たけびをあげることになるというものだったそうだ。「でも現代の観客は、小説の中で描かれている17世紀のスペインと、12世紀のスペインのコスチュームの違いなんて区別できないんじゃないかと思ったんだ。それなら、現代のキャラクターを登場させればいいと思い、ジョニーが演じる予定だったキャラクターができたというわけだ」

 今作が製作困難に陥ったことで、人々が『テリー・ギリアム自身が、ドン・キホーテだ』と言い始めたことについては、「その頃、脚本を共同執筆していたトニー・グリソーニは『それは違う、映画自体がドン・キホーテなんだ。テリー・ギリアムは、サンチョ・パンサ(主人公ドン・キホーテの従者で、現実主義者として描かれたキャラクター)なんだよ』と語っていたよ」と振り返り、「理性的で分別のある人々は何か製作が滞ってしまうと、別の作品に取り掛かるべきだと言ってくるが、僕個人はそんな理にかなったことが嫌いなんだ。世界の見方を限定してしまうからね」と持論を展開した。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)