ココ・シャネルに愛され、オードリー・ヘプバーンを発掘した作家シドニー=ガブリエル・コレット。81歳まで愛の小説を書き続けた彼女はフランスで初めて国葬された女性作家で、彼女が生まれた1873年はフランス革命から約100年後の時代です。フランス革命では、すべての人間の自由と平等を宣言した「人権宣言」が成立したものの、女性の権利は男性と平等ではありませんでした。

極端な女性差別がはびこる男性社会で、生涯を通し“自分らしさ”と“女性の自立”を叫んだコレットの波乱万丈の半生を描いた映画『コレット』が5月17日に公開されます。今回は、作中コレットがまとった衣装から、当時の女性について考察したいと思います。

19世紀末。コルセットと夫からの抑圧

コレット

1893年、破産したブルジョワ家庭の20歳のコレット(キーラ・ナイトレイ)。14歳年上の上流階級出身で、ジャーナリスト、作家、音楽評論家として著名なウィリー(ドミニク・ウェスト)と結婚します。年が離れていたとはいえ、コレットはウィリーと恋に落ち、ウィリーもまた、自分の家族からの反対を押し切り財産相続権まであきらめて、持参金のないコレットと結婚したのです。

コレットが結婚前に着用していた衣服はブラウスにスカート、ブーツに三つ編みという簡素なスタイル。森を散策することを愛した彼女が好んだ衣服は明るいパステルやグレイッシュなカラーの柔らかな生地でできていました。

コレット

18世紀から19世紀にかけて起こった産業革命で、綿織物業をはじめ様々な産業が機械工業化したことから、衣服の大量生産が以前よりも可能となり、衣服はずっとシンプルになっていました。コルセットは健在していたものの、ふくらんだスカートや華美な装飾は廃れ、シルエットも細くなっていき、服装からは労働者階級、中流階級、上流階級の見分けがつかなくなった時代。

コレット

そして、パリに移ったコレットの衣服は、黒、白、茶を基調にしたシックなカラーの、より重厚な生地を使ったスタイルへと変化します。ウィリーに導かれるままにパリのサロン生活を楽しんでいたコレットですが、次第に彼が本物の作家ではないことに気づきます。ウィリーは若手作家や編集者などからなるゴーストライターのチームを編成し、プロデューサーのような役割で執筆活動を行っていたのです。

コレットに文才があることを知ったウィリーは彼女の少女時代をモチーフに綴った『学校のクロディーヌ』を執筆させ、これが大ヒット! 続けて3作品を彼女に無理やり書かせます。最初は夫のゴーストライターに甘んじていた彼女ですが、男装の男爵夫人ミッシー(デニース・ゴフ)との出会いで“自分らしさ”に目覚めていきます……。

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妻の才能による成功を独り占めにしながら、浮気や借金を重ねる夫……。ですが、離婚したとて、コレットが稼いだお金で買った家はウィリーの財産。19世紀末のフランスでは、特定の結婚契約に署名をしないと、妻が財産の管理権や処分権を得ることはできなかったのです(※)。コルセットが女性の身体を締め付けるように、男性優位社会と夫にコレットは抑圧されていました。

20世紀初頭。オリエンタリズムとパンツ・ルック

『クロディーヌ』シリーズに著者名として自分の名前を入れたいという希望をウィリーに一蹴されたコレットは、パントマイムや舞台にのめり込みます。20世紀初頭は、交通手段の発達で人々が世界中を旅行するようになり、オリエンタリズムがフランスで大流行。また、人々がより活動的になったことでスポーツやレジャーが発展していました。

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1907年、ムーラン・ルージュの舞台「エジプトの夢」でコレットとミッシーが舞台上でキスを交わし、観客が暴動を起こします。これは当時のオリエンタリズムと、同性愛のタブーが表現されているシーン。

この1年前にはファッションデザイナーのポール・ポワレがコルセットのないドレスを発表し、マドレーヌ・ヴィオネも同じころにコルセットを外しました。コルセットのないオリエンタルなファッション、交通手段の発達やスポーツの流行がコルセットをファッションから追放した要素だとも考えられています。

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やがて、自分のセクシュアリティに正直でいるミッシーとともに過ごすうちに、“女性らしさ”というジェンダーから解放されることを望んだコレットも、男装をするように。

コレット

映画でも描かれるように、20世紀初頭は女性のパンツ姿は非常識な服装だと見なされていました。実際には1918年頃から、ココ・シャネルがパンツ・ルックを打ち出していましたが、一部の最先端な上流階級の女性の間にだけパンツが許されていたそう。

すべての社会階層においてパンツが女性の日常着になったのは、なんと1960年代! イヴ・サンローランが1966年に発表した「スモーキング」パンツスーツが一世風靡してからやっと定着したのです。それまでは、パンツ姿の女性は一流ホテルやレストランで食事もできなかったのだとか。

1950年代。オードリー・ヘプバーンと新しい女性美

映画では描かれていませんが、ウィリーと離婚後、コレットはもう一度結婚し、離婚します。そして1935年に、3番目の夫として選んだのは17歳年下の男性。そして『シェリ』『夜明け』『青い麦』『ジジ』などの傑作小説を生み続けました。

特に『ジジ』(1945年)は『恋の手ほどき』(1958年)として映画化され、第31回アカデミー賞にて作品賞を始めとする9部門を受賞しました。実は1951年にオードリー・へプバーンを主演に迎えてブロードウェイで舞台化された作品。『ローマの休日』(1953年)でブレイクする前のオードリーをモンテカルロで見つけスカウトしたのは、コレット自身だったそう。

1950年代は、マリリン・モンローに代表されるような官能的でグラマラスな美が“女性らしい”ともてはやされていました。なぜなら、第二次世界大戦で出征していた男性が社会に戻って来て以来、戦時中、動きやすい服装で働いていた女性は再び家庭へと追いやられ、クリスチャン・ディオールが発表した「ニュー・ルック」という、コルセットを用いた細いウエスト、豊かなバストとヒップを強調したシルエットの衣服を着るようになっていたからです。

コルセットで締め付けられたグラマラスな女性美が称えられるなか、少年のような身体のオードリー・へプバーンを発掘したコレット。オードリーが新しい女性美を打ち出したことは、皆さんもご存知でしょう。つまり、コレットはモダンな女性像をオードリーをとおして示したのです。

“ジェンダー”という言葉が浸透するずっと以前から、“自分らしさ”と“女性の自立”を求めて、自分の力で人生を切り開いてきた作家コレット。本作を観ると、146年も前に生まれた彼女が受けた性差別が現代でもまだ続いていることに驚きを禁じえません。だからこそ、私たち女性が“自分らしさ”を追及し、声をあげ続けることは大切なのです。

(文・此花さくや)

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(C)2017 Colette Film Holdings Ltd/The British Film Institute. All rights reserved.

【参考】
※…松田祐子「ベル・エポックのフランスにおけるブルジョワ女性:結婚と離婚について」
https://doi.org/10.18910/66446