【町田雪のLA発★ハリウッド試写通信 ♯29】
「LA発★ハリウッド試写通信」では、ロサンゼルス在住のライターが、最新映画の見どころやハリウッド事情など、LAならではの様々な情報をお届けします。

「何をもって、映画というのか?」 これは、ハリウッドがここ数年、そして特に今、直面している問いだ。映画館、テレビ、オンラインという鑑賞方法、フィルムかデジタルかという撮影手法など、さまざまなチョイスがある今、“映画”の定義づけが難しくなっている。

「映画は劇場で。劇場上映を優先しない作品は、オスカーの資格なし」という伝統主義のスティーヴン・スピルバーグと、「劇場公開されにくい外国語&低予算のインディ映画を、世界中でほぼ同時期に観てもらえるチャンスを作った配信サービスは、映画の大切な未来」という先進派のアルフォンソ・キュアロン。

ともに、世界が敬愛するフィルムメイカーであり、映画愛に溢れているからこその主張であるが、その立場は相反しているようにも見える。ここでは同論争をきっかけに、「映画とは何か?」という問いに向き合ってみたい。

ハリウッドが注目する論争の発端

いわゆる「スピルバーグVSキュアロン(正確に言うとNetflix)論争」の発端は、今年のアカデミー賞において、キュアロン監督によるNetflix配信映画『ROMA/ローマ』が有力候補となったことだ。同作は、約3週間の限定劇場公開を経たのち、Netflixを通じて190カ国で配信された。

『ROMA/ローマ』Netflixオリジナル映画「ROMA ローマ」独占配信中

これが、米映画興行で重要視されてきた「90日ウィンドウの慣習」(映画はまず、劇場で公開され、その後、約90日を経てから、DVDやオンライン配信などでリリースできるという流れ)に沿っていないことや、オスカーのノミネート資格を満たすための表面的リリースだと思われたことで、興行主や伝統主義の業界人の反発を呼んだ。

スピルバーグの言い分

米アカデミー協会の理事でもあるスピルバーグは、劇場用の映画と、それ以外のフォーマットの作品を区別するスタンスを公言。過去のインタビューでも「テレビ用に作られた作品は、テレビ映画。それがいい作品ならもちろん、エミー賞に値するが、アカデミー賞の対象ではない。ノミネート資格を満たすために、数カ所の劇場で1週間弱の上映を行った作品が、アカデミー賞のノミネート対象になるべきではない」と語っている。

スティーヴン・スピルバーグ Photo by Aaron Poole / (c) A.M.P.A.S.

こうしたなか、配信サービス上でお披露目される映画や、限定された劇場公開にとどまる作品は、アカデミー賞の対象外とすべく、ルール改正を提案する、という姿勢も報じられた。結局、今年のルール改正は見送られることになったが、今後、スピルバーグのスタンスがどう変わっていくのか、注目される。

「映画は劇場で」というスタンスを貫く有名フィルムメイカーは他にもいる。『アバター』のジェームズ・キャメロン監督は、「今は、何でもマルチタスクの時代だが、映画館では皆、その他のすべてのことを手放して、スクリーンに没頭する。その体験をしてこそ、映画なのだ」、『ダンケルク』のクリストファー・ノーラン監督は、「映画とは、臨場感を得られるもの。それは、映画館の大スクリーンでしか実現できない」というスタンスだ。

ともに、「映画館で映画を観る体験」が減り、ひいては映画館自体が減ることになることを危惧。その引き金となりうる配信スタイルに辛辣な立場をとっている。

キュアロンの言い分

スピルバーグが標的にしているのは、もちろん、キュアロン個人ではなく、Netflixをはじめとする配信サービスだが、キュアロンは同論争における顔でもある。今年1月のゴールデングローブ賞授賞式の記者会見では、同作を「表面的な劇場リリース」と批判する声に反論。

アルフォンソ・キュアロン Photo by Michael Yada / (c) A.M.P.A.S.

「米国において、スターなし、スペイン語とメキシコ先住民語、白黒のメキシコ映画に、通常、どれほどの規模の劇場上映が見込まれると思いますか? 今回の劇場リリースは決して、表面的なものなどではない。同作は1カ月以上前に公開され、いまだに上映されている。外国語映画にとっては稀なことなのです」。

さらに、Netflixと興行主の論争こそが、シネマを傷つけているというキュアロン。「両サイドは論争を終えて、手を組むべき。今はたくさんの興味深いフィルムメイカーが出てきており、彼らの映画を積極的に配信する、さまざまなプラットフォームが存在するのです」。

そして、スピルバーグのルール改正案が報じられた後には、「映画の配給・配信モデルは、作品ごとに柔軟に対応されるべき。超大作のリリース戦略を、小規模作品に当てはめることはできない。なかには、少ない劇場で長く上映するほうがいい作品もある。いまや、ひとつの枠組みにとらわれるのではなく、その枠組みを広げるときなのです」と応じた。

次に、同論争に関わるプレイヤーたちの視点を探ってみたい。

Netflixの視点

渦中のNetflixも決して、劇場体験の価値を軽く見ているわけではない。その想いは、スピルバーグのスタンスに対する同社のツイートが物語っている。

「私たちはシネマを愛しています。また、ほかにも愛していることがあります。それは、チケット代が払えない、または映画館がない街に住んでいる人々に作品を届けること。世界中のすべての人々が、同時に作品を楽しめるようにすること。フィルムメイカーが芸術を表現できる方法を増やすこと。 これらは、相入れないことではないのです」(筆者訳)

同社の顔であるテッド・サランドスはまた、劇場体験のメリットについて、過去のインタビューでこう語っている。「映画館は、私たち(ホームエンタテインメント)が提供できない方法で、観客の映画体験を昇華させることができるはずで、そうであってほしいと願っています。映画館に行くことは、ディズニーランドに行くようなものであるべき。すばらしい鑑賞体験と極上の夜遊びにもなりうるのです」。

テッド・サランドスとアルフォンソ・キュアロン監督 (C) Regina Wagner/picture alliance / Geisler-Fotopress

そんなNetflixは先日、ハリウッドの老舗映画館、エジプシャン・シアターの買収を交渉中であると報じられた。身をもって、劇場体験と配信サービスが“相いれる”ことを証明するのか、注目される。

興行主の視点

今こそ、「スピルバーグVSキュアロン論争」が注目されているが、「劇場VS配信」の論争は、数年前から始まっていた。当然のことながら、製作されるすべての作品が劇場公開にこぎつけられるわけではなく、インディペンデント映画の多くは、劇場を飛ばしてDVDなどでリリースされることも多かった。さらに、オンライン配信サービスが普及しだしてからは、実験的に劇場公開と配信を同日に行ったり、配信のみでリリースされる映画も登場。そのたびに、大手興行チェーンが該当作品の上映をボイコットしたり、配信・配給サイドと揉めたりしてきたのだ。

ただ、これまで慣習を破ってきた作品は、それなりの話題作ではあったものの、アカデミー賞に絡むような作品ではなかった。それが、今年はオスカー最有力候補になったのだから、たまらない。『ROMA/ローマ』がゲームチェンジャーとなり、今後、同様のモデルが頻発することへの危機感が高まっている。

3月末に行われた米映画興行コンベンションでは、やはり、「90日ウィンドウ」の短縮(または消滅)に反対する姿勢が強く、スピルバーグ支持派が多かったという。とはいえ今年は、米エンタテインメント界の最強プレイヤー、ディズニーが独自の配信サービスをスタートし、オリジナル作品も製作予定。興行主たちは、すさまじい葛藤と闘いながら、たくさんの決断に迫られることになるだろう。

フィルムメイカーの視点

一方で、フィルムメイカーの多くは、NetflixやAmazonといった配信サービスの台頭によって、恩恵を受けるとみられている。その理由は数えきれない――劇場公開のチャンスが得られず、DVDリリースでは埋もれていたかもしれない作品を、世界中の人に同時に観てもらえる。これが、Netflix主導のオリジナル作品の場合には、フォーマットや尺をはじめ、クリエイティブ面における自由が与えられる。潤沢な製作予算を受ける可能性もある――。

特に、強く大切なメッセージを持ちながら、劇場では敬遠されがちなドキュメンタリー映画や外国語映画、インディペンデント映画にとって、配信サービスは救世主ともいえるだろう(もちろん、配信大手にセレクトされるためのハードルも、同じようにあるのだが)。

米映画業界サイト「インディ・ワイヤー」によれば、キュアロンの『ROMA/ローマ』は、製作段階にある時点で、世界配給を目指して各社にプレゼンされたものの、多くのスタジオから配給を断られたという。有料テレビ放送に興味を示されたものの、白黒のスペイン語映画であることがネックとなり、交渉が終わるケースもあったようだ。

最終的に名乗りを上げたNetflixは、5,000万ドルもの費用を投じ、オスカー・キャンペーンを含むマーケティング、配信・配給を実現した。キュアロン自身もメジャーなフィルムメイカーであるため、同様のことが、すべてのフィルムメイカーにあてはまるとは思えない。ただ、作品を送り出す方法が増えることは、クリエイターのチャンス拡大につながるだろう。

観客の視点

最後に、私たち観客にとっては、どうだろう? これは筆者の気持ちだが、スピルバーグやノーラン、キャメロンの主張に背筋が伸びる思いで、彼らの映画は必ずや映画館で観たいと思う。地元の映画館がつぶれることなど、想像もしたくない。映画館で映画を観ることが、大好きだ。

同時に、彼らのような知名度や実績を持たず、予算や興行チャンスを得られないフィルムメイカーの作品も観たい。限られた時間のなかで、できるだけ、たくさんの映画を観たい。それが素晴らしい作品なら、より多くの人に届く、オスカーという切符を手にしてほしい。

筆者は仕事柄、映画館に行く頻度が多いが、周りには、仕事や育児、日常生活で、映画館に行く4時間(本編2時間+前後1時間ずつの準備や移動時間)が捻出できない友人も多い。家族4人分の映画チケット代を考えて、別の娯楽を選ぶ人も多い。映画館が近くにないエリアに住んでいる人も、1人では移動ができない人もいる。そんな彼らにも、好きな映画をおすすめしたいし、3カ月も待たずして感動を共有したい。いつ、どこで、どのようなかたちで観ても、それぞれの人にとって“映画”であればいいのではないかと思う。

皆さんにとっての“映画”の定義とは、何でしょうか?