【シネマなアレコレ vol.6】 おおかみこどもの母の本棚 迷う心の道標はいつも本でした

コラム

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文=大谷隆之

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(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
スタジオ地図 作品


3年ぶりの新作アニメ『バケモノの子』が大ヒットしている細田守監督。観客を無条件でワクワクさせるエンタテインメント力と骨太なメッセージを兼ね備えたこのストーリーテラーは、小物を使ったキャラクター演出の達人でもあります。身に付ける衣服から日常の道具、キッチン用品からインテリアまで──スクリーンにさりげなく配置されたアイテムのどれもが、実は登場人物たちの人となりを物語っている。押しつけがましさを微塵も感じさせず、それでいて観客の潜在意識にしっかり訴えかける、そのバランス感覚は本当に絶妙です。ここでは前作『おおかみこどもの雨と雪』(12) に登場する本に注目して、そんな細田演出の妙をちょっぴり覗いてみましょう。

日本でただ一人だけ生き残った“おおかみおとこ”と恋に落ちた女性が、やがて“おおかみこども”姉弟の母親となり、懸命に育て、自立させるまでを描いたこの物語。親子の愛情と自然の厳しさがせめぎあう稀有なファンタジーで、観る人によっていろんな共感ポイントがあると思います。筆者が特に心を揺さぶられたのは、ヒロイン・花の本棚でした。 「母は東京の外れにある国立大学の学生でした。授業料は奨学金でまかない、生活費はアルバイトをかけもちして工面していました」

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(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
スタジオ地図 作品


■文学や哲学に孤独を救われていた
一人暮らし時代の本棚

映画の冒頭、成長した娘・雨の回想ナレーションによって主人公の境遇が明かされます。 家族の援助が期待できない、いわゆる苦学生ですね。ただし言葉による説明はここまで。続く数カットでは、両親を早くに亡くしたらしいこと、安いアパートで慎ましく暮らし、友だちも決して多くないことなどが手際よく暗示されていきます。そんな花の部屋に大切に置かれていたのが、白い三段のブックシェルフでした。もしかしたら大好きな父親から譲り受けたのかもしれません。最上段には思い出の写真が飾られ、素朴な湯飲み茶碗が供えられています。この間、長さにすればたったの数分。でも彼女にとってこの本棚こそがかけがえのない存在であること、また読書を通じて1人で生き抜く知恵を得てきたことなどが、リアルに感じとれるはずです。

棚いっぱいに並べられた背表紙にも、内向的だけど芯の強い花のキャラクターがよく表れています。たとえば深夜、マグカップを片手に書物のページを繰るシーン。立て膝に隠れてタイトルの一部しか見えませんが、よく目を凝らすと隅っこの方にミヒャエル・エンデの「モモ」が入っている。“時間どろぼう”に盗まれた時間を取り戻そうとする不思議な女の子の冒険ファンタジーで、しかも現行の岩波文庫ではなく懐かしい単行本サイズ。あの特徴的な装丁にハッとした児童文学ファンもきっと多かったのではないでしょうか。

■満ち足りた新婚時代の本棚から
怒濤の子育て時代に

その後、“おおかみおとこ”の彼と同居するようになって、どこか殺風景だった花のアパートは温かく家庭的な雰囲気に変わっていきます。特別な場所である本棚の上には、彼の故郷である山里の写真が置かれ(物語の後半、彼女はそこに移住することを決意します)、 窓際には空き瓶に生けた草花がそよぐようになる。けれども本棚の中味は、まだ小説や人文書が中心です。古書店で買ったらしい「風の又三郎」や「ヘッセ詩集」。E・L・カニグズバーグ「クローディアの秘密」に、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッバイ」。一風変わったところでは高野文子のマンガ「黄色い本」。時代もジャンルもバラバラですが、いかにも聡明な文学少女が好みそうな、物語の力を感じさせる古典ばかりです。

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「黄色い本」 (KCデラックス アフタヌーン)/講談社
著:高野文子


またルドルフ・シュタイナー「神智学」の文庫本など、哲学関係の本もかなり充実しています。ちなみに大学の講義に潜り込んでいた“おおかみおとこ”と花が出会った授業はどうやら哲学概論らしく、講師が読み上げていたのはプラトン「ソクラテスの弁明」の一節でした。娘時代の花はきっと、単なる本好きではなくて、正しい生き方とはどういうものなのかを知りたいと願うような、気持ちの真っ直ぐな女性だったのでしょう。

ところが最愛の夫に突然先立たれ、幼い娘と息子をたった1人で育てていかなければならなくなって以降、本棚の中味は急速に変わっていきます。子どもたちに読み聞かせる絵本に加えて、小児医療や子育ての参考書など実践的な書物がどんどん増えていく。「周囲の人々に相談するわけにはいかなかった母は、1人で本で勉強するしかありませんでした」。ここでもう一度、雨のナレーションが短くはさまれます。その一方で、棚の隅にエーリッヒ・ケストナーの「子どもと子どもの本のために」ピーター・スピアの絵本「雨、あめ」などが並んでいるのを見つけた観客は、窮地に陥った彼女がまだしっかり書物の力を信じていることを知ってホッとするかもしれません(ちなみに後者の絵本「雨、あめ」は、細田監督がこのアニメを作る上で重要なインスピレーションの源だったそうです)。

■苛酷な田舎暮らしに勇気をくれた
古民家の本棚

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(C)「おおかみこどもの花の家」
花達が越してきた古民家のモデルとなった家(富山県上市町)。今も多くのファンが訪れている


やがて彼女は東京を後にし、夫が残した1枚の写真を頼りに、富山県の山里で子育てを始めます。実在の古民家を正確に再現したこの背景美術がまた素晴らしいのですが、シンプルな白い本棚はここでもやっぱり茶の間に置かれ、すぐ近くから花を見守り続けます。自然農業の指南書から、自然観察員として働くための「原色樹木図鑑」まで。生活と成長に応じて中味を入れ替えつつ、三段の本棚はつねに彼女のそばにいる。まるで古い親友のようです。

もちろん本から得た知識だけですべてがうまく行くはずなどありません。何度試しても野菜を腐らせてしまう花は、隣に住む頑固なお爺ちゃんにこっぴどく叱られ、指先を傷だらけにして農業を学んでいきます。野性の狼と違って人は一人では生きられない──。本作のテーマにも通じる厳しい現実を細田監督はしっかり見据えています。でもその一方で、彼女が読書を止めることはありません。幼い娘と息子に読ませたかったのでしょうか。本棚にはいつの間にか、バージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」や、松谷みよ子の児童文学「ちいさいモモちゃん」「モモちゃんとプー」、ロシアの戯曲「森は生きている」などが仲間入りしています。

そう考えたとき、『おおかみこどもの雨と雪』は書物に対する作り手の限りない愛情・信頼と、物語上なキャラクター演出が分かちがたく結びついた傑作だと思えてきます。ここで挙げたのは、実はそのほんの一部分だけ。画面に隠された細田監督のメッセージを、ぜひ読み取ってみてください。

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発売中/¥1,833+税
発売元:バップ
(C)2012「おおかみこどもの雨と雪」製作委員会
スタジオ地図 作品

記事制作 : Avanti Press(外部サイト)