【ニャンともわんダフルシネマ vol.4】にゃんこパートニャーは永遠にゃん!

コラム

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文=島崎奈央

 「グーグーだって猫である」

(C)2008 「グーグーだって猫である」 フィルム・コミッティ

◆にゃんこジャンル:アメリカンショートヘア

古くは内田百閒、大佛次郎、現代なら金井美恵子や町田康、角田光代。小説家には猫好きが少なくない。漫画家も然り。諸星大二郎に伊藤理佐や伊藤潤二、萩尾望都も愛猫家だ。

しかし、数多くいる猫好き作家のなかでも、異彩を放つ人物がいる。大島弓子である。

彼女の漫画家としての才能が並外れているのと同じように、愛猫家としての彼女もまた、そんじょそこらの者とは違う。家の猫を猫可愛がりするのは、猫好きならみな同じ。でも彼女はそれとはちょっと違う。タイプでいうなら大佛次郎や町田康タイプ、つまり猫全般への博愛精神、猫の命への奉公ぶりがすごいひとである。

大島は1995年に、9年5カ月と1日間、連れ添った初代の猫サバを亡くす。食べられない、眠れない、のどん底の日々を越えて、彼女はやがてグーグーというアメリカンショートヘアの猫を迎え、ともに暮らし出す。が、ふたり(ひとりと1匹)の時間は長く続かない。彼女は捨て猫を1匹、また1匹、時には数匹まとめて保護し、飼い猫を増やしてゆく。そしてやがて、(主に)猫たちのために一戸建てまで買い求め、庭には外猫用の小屋までつくって餌をやり、他の追随を許さない猫婆さんと化していくのだ。

 「グーグーだって猫である」

(C)角川文庫

角川文庫「グーグーだって猫である」1&2

そんな大島の変遷と彼女の猫ライフは、エッセイコミック「グーグーだって猫である」(全6巻)にて明らかにされており、08年には映画化もされている。監督は犬童一心。大島をモデルとする漫画家のヒロイン、小島麻子に扮したのは、小泉今日子。ちなみにこのふたりも並々ならぬ愛猫家だ。

映画が描くのは、原作の1~2巻にあたる部分。物語は、麻子の飼い猫サバが、そっと旅立つところからはじまる。締め切りに追われ、徹夜で仕事をする麻子。サバはその背中にそっと声をかける、「さようなら」。麻子がサバの異変に気がついたのは、翌朝、作品を書き上げて、編集者に原稿を渡したあと、もう手遅れになってからだった。

サバを亡くし、麻子は落ち込む。「お風呂に遊びにくるサバ」「トイレの前でずっと待っているサバ」「バンザイをしたまま寝ているサバ」「青い毛布でしかフミフミしないサバ」・・・。元気だった頃の愛猫の姿を思い出し、みすみす死なせてしまったことを思って落ち込む日々。そんななか、彼女はふらりと立ち寄ったペットショップで、アメリカンショートヘアの子猫グーグーと出会う。再び、猫との暮らしが再開される・・・。

 「グーグーだって猫である」

(C)2008 「グーグーだって猫である」 フィルム・コミッティ

成長期のグーグーは活発で、生きているのが楽しくて仕方がないといった感じ。紙袋に隠れる、段ボール箱にもぐりこむ、畳んだばかりの洗濯物のうえに鎮座する、風呂のフタに座って入浴中の麻子とたわむれる。アメリカンショートヘアならではの、かた太りに近い、ムクムクとした体つきがたまらない。原作で描かれるグーグーと同じく、額に“WとMを足したような”模様があり、横っ腹にはぐるぐる模様がちゃんと確認できるのも、原作ファンとしては嬉しいところだ。

しかし、この映画に猫の可愛い仕草、猫との楽しい暮らしの描写ばかりを求めるなら、その期待は少し、裏切られる。映画は大島弓子の作品さながらに、だんだんとファンタジー色を増し、少しばかり不穏な空気が漂いはじめる。

麻子は40歳を過ぎて独り。よい雰囲気になった好青年との関係にも消極的で、作家としても創作欲旺盛という感じではない。サバとの納得できるお別れが叶わなかったからだろうか。彼女の立ち居振る舞いには、いつも、そこはかとないさびしさ、暗さがある。やがて、彼女の卵巣に、がんが見つかる。サバの旅立ちで幕を開けた物語は、人間を含めた生き物の生き死にの話へと展開してゆく。

 「グーグーだって猫である」

(C)2008 「グーグーだって猫である」 フィルム・コミッティ

猫の成長は早い。生まれた最初の1年に20歳も年をとり、その後1年ごとに4歳年をとっていく。人間の何倍ものスピードで生きて、わたしたちを追い越し、行ってしまう。いま何歳、あと何年。愛する猫とのお別れは、カウントダウンのように迫ってくる。大島のグーグーは11年に亡くなってしまった。作品を通して彼に触れ、親しんでいたから、一読者として、ひとりの猫好きとして、それを知ったときは、ひどく悲しかった。

しかし、映画のなかには麻子のこんなモノローグがある。原作にも書かれている大島の言葉だ。
「グーグーが長生きしますように 病気しませんように 事故にあいませんように この家の生活がたのしめますように そして天寿を全うしたら このわたしがグーグーを送ることができますように」

お別れは悲しい。けれど、愛猫をちゃんと「送る」ことは、猫と一緒に生きた人間が果たすべき、恩返しに近い、ひとつの役目なのかもしれない。生命維持に注ぐ並々ならぬ精力と、別れを受け止める静かな覚悟。そのふたつを持って、猫に対する大島を、わたしは心底尊敬する。

映画のなかの麻子が、どのように自分の生死を見つめたか。どのように再び命の道を歩みはじめるか。それはその目で見てみてほしい。原作にはないこのシークエンスには、過去にも2作、大島作品を映画化し(「赤すいか黄すいか」82、「金髪の草原」00)、14年にはテレビドラマで、再度『グーグーだって猫である』の実写化に挑んでいる犬童監督の大島弓子愛が溢れている。猫好き、そして大島作品好きなら、ぜひ見ておきたい一本だ。

『グーグーだって猫である』

(C)2008 「グーグーだって猫である」 フィルム・コミッティ

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記事制作 : Avanti Press(外部サイト)