山田洋次と二宮和也、『母と暮せば』巨匠がアイドルに託したもの

コラム

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『母と暮せば』
『母と暮せば』
©2015「母と暮せば」製作委員会

文=高村尚

32歳の二宮和也を、アイドルというのはどうか、とも思う。しかし“嵐”といえば老若男女が知る、いまどき希有なアイドルグループ。なかでも注目される存在なのだから仕方ない。その二宮が、巨匠・山田洋次監督の『母と暮せば』に主演した。同作は、山田監督が、「生涯で一番大事な作品をつくろうという思いでのぞみます」と言い切った重要な作品だ。その作品を作るにあたり、なぜ“巨匠”は“アイドル”に協力を求めたのか?

「1945.8.9」。山田監督は撮影現場で、リズムよくこの数字をつぶやいていた。この数字は、長崎医科大学の学生であった主人公・福原浩二の命日だ。二宮が演じた福原浩二は、すでにこの世の者ではない。長崎に投下された原子爆弾によって、爆心地近くの大学で授業を受けていた浩二は、考える間もなく、強い熱と光で“蒸発”した。それから3年。遺骨の見つからない息子の死をやっと認めた母の元に、浩二は亡霊となって現れる。息子たちと夫を亡くした母と、婚約者や未達成の夢など様々な未練を遺してこの世を去った息子の物語。二人は、再び会えた喜びを味わい、心残りだったことを確認していきながらも、受け入れざるを得ない現実を自覚していく。

難しい役どころ。なぜなら二宮は演じている時代を知らず、浩二の思いを想像する手立てがない。それについて撮影開始直後の二宮は、「自分で良し悪しを判断する前に戦争はいけないものだと声高に叫ぶ声を聞き、知ろうとする意欲をそがれてしまった。そこから現実のものとして見られなくなった」(『BS1スペシャル 戦争を継ぐ~山田洋次・84歳の挑戦~』11月15日放送)と困惑しながら吐露している。

『母と暮せば』
『母と暮せば』
©2015「母と暮せば」製作委員会

“理解”という点では、最初から知ることに意欲的な若い俳優もいただろう。しかし山田監督は、二宮和也を選んだ。この作品に限らず、山田監督の演出は丁寧だ。俳優が置かれた状況を想像させるため、言葉を尽くし、手を尽くす。山田監督は、浩二を通して「実在の若者の人生を感じてもらいたい」「観客に自分のことだと思ってほしい」と語っていた。だからこそ二宮が必要だった。彼が、撮影で体験し、獲得したものがスクリーンに刻み込まれて初めて、山田監督のやりたいことが実現するからだ。自分になにが起きたのか知らず、状況が理解できていないのは、浩二も二宮も一緒だ。

撮影は約2カ月だったという。見栄を張ることも、気持ちをごまかすこともなく、二宮は浩二となってそこに“存在”した。山田洋次の思いを安易に受け入れることなく、監督と俳優として撮影現場を共有したからこそ、スクリーンには彼の“その時”が刻み込まれた。山田監督は、二宮和也のその先にいる人々に思いを伝えたかったのだと思う。二宮にその共犯となって欲しかった。だが一筋縄ではいかない。相手が誰であろうと、納得できていないことを本心から受け入れたりはしないだろう。撮影の2カ月は、密かな攻防期間でもあったのではないか。

山田監督は、二宮についてこう語っていたと関係者が明かしてくれた。「監督は、二宮さんは、アイドルで大スターだけど、あまりそういうことを感じさせないところがいい。仲間になれた気がする。老若男女にファンが多いのも分かるね、とおっしゃっていました」と。そして、「二宮さんも、寅さんと同じ葛飾出身。下町独特な軽快さがあり、渥美さんとも通じるところがある。渥美さんが若かったらこんな感じかもしれないね。顔は全然違うけど(笑)」とも。

浩二がスクリーンから醸すものすべてが愛おしく感じられたのは、二宮の力だけでなく、“寅さん”のバックアップもあったのかもしれない。いずれにしてもこの映画は、二宮以外では成立しなかっただろう。

『母と暮せば』

『母と暮せば』
松竹120周年記念映画
12月12日(土) 全国ロードショー
出演:吉永小百合、二宮和也、黒木華、浅野忠信、加藤健一
監督:山田洋次
脚本:山田洋次・平松恵美子
企画:井上麻矢(こまつ座)/プロデューサー:榎望/撮影:近森眞史/美術:出川三男/照明:渡邊孝一/編集:石井巌/録音:岸田和美
製作:「母と暮せば」製作委員会 制作・配給/松竹株式会社
©2015「母と暮せば」製作委員会
公式サイト : http://hahatokuraseba.jp/

記事制作 : Avanti Press(外部サイト)